北口雅章法律事務所

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名古屋高裁民事3部から受けた屈辱的判決に対する「怒り」

(ある住民訴訟で、今般名古屋高裁民事3部から受けた棄却判決に対する、上告理由書から)

 

第5 結語

   本書第3、第4で詳論したとおり、原判決の判断は、上告人らが「心血を注いで」起案・主張した控訴理由書の内容について、およそ「理由らしい理由」など一切示さずにこれを一蹴するものであって、「何がなんでも原判決の結論を維持しよう」という、原審裁判官らの尊大・頑迷かつ不公正な審理態度が顕著・露骨に示されている。「裁判の生命というのは、いうまでもなく妥当な結論」であるところ(前最高裁判事・北川弘治「裁判の生命」『司法研修所論集2005-Ⅱ(第115号)』)、原判決のような実質的・合理的な理由が欠如し、甚だしく偏向した、不合理・不条理な高等裁判所の判断がまかりとおるとなれば、遺憾ながら、住民訴訟を提起する住民(上告人ら)においては、いかに社会常識に沿って適正な「司直」による公正な判断を求めても無駄だと考えざるを得ないことにならざるを得ない。また、原判決の内容は、従前の最高裁判例の準則から当然に導かれるはずの結論に不都合があるとみれば、その趣旨を一方的に曲解・歪曲し、「事案を異にする」などと称して、それを平然と射程外におくものであるから、従前の最高裁判決を調査した上で、住民の代表者的立場から真摯に訴訟活動を遂行する住民(代理人弁護士を含む。)の法的安定性、予測可能性を著しく損なうものである。そして、如上の理由欠如・理由齟齬の判決内容から垣間見える、「第一審判決=行政集中部の判断だから」正しいであろうなどという根拠のない揣摩臆測・先入観・予断や、被告が愛知県知事だから社会的影響に配慮して「波風を立てない」でおこうなどといった原審の安易な行政権力迎合的・事大主義的な態度、あるいは、まるで「火の粉」をふり払うかの如く、住民訴訟を軽くあしらうといった事勿れ主義的な態度は、「公正な裁判」とはほど遠いもので、「裁判」の名に値せず、上告人らの「公正な裁判」を受ける権利(憲法32条)を正面から否定するものであって、司法に対する国民の敬意の念を失わせるものである。

   最高裁におかれては、地方自治法が規定する住民訴訟の社会的意義を重視して、厳正な判断していただきたく、切に願うものである。