北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「老いる」ということ

「老いる」ということは、「死(期)」が近づいてくるということ、体力・記憶力・免疫力が衰えてきて病弱となること、身体のあちこちが故障し、少しずつ崩壊していく過程を実感することである。
「自分が老いる」ということは、同時に、「親の世代」の人々が一層「老いる」ということであり(知人達の多くは、既に親を看取っている。)、やはり「自分と同世代」の知人達が「老いる」ということでもある。

先週金曜日(1月5日)、1年ぶりに、弁護士仲間の「同期会」があった。愛知県弁護士会の弁護士18名が参集した(今年は、結構、出席率が高かった。)。でかける前、幹事の弁護士に電話し、「いかん、ボクにも『老い』が始まったようだ。忘れてしまった。今日の同期会、場所は何処だった、っけー?」と尋ねると、「安心しろ。君だけでない。同じ問い合わせは、二件目だ。」と。

同期会では、順繰りに近況報告をしていく。
話題は、「病気の話」と「子どもの話」がやたら多く、「仕事」の話が少ない。

てなわけで、私の順番が回ってきたとき、その旨を指摘し、「同期会でありながら、仕事の話を聞けないのは寂しい限りだ。」と申し上げ、「昨年末、名古屋高裁から受けた控訴棄却判決に対し上訴し、目下、5件目の上告理由書と上告受理申立理由書を起案中であるが、これが最高裁に届くと、5件、私の受任事件が最高裁に係属していることになる。」と息巻いたところ(すぐに不受理通知が届くのであろうが…)、驚かれた。裏を返せば、不満の残る名古屋高裁判決を昨年だけで5件も受けている(正確には上訴件数が6件であるが、うち1件は既に上告「不受理」通知を受け取っている。)。
「老いても」反骨精神だけは失いたくないものだ。

 

 日本全国には、8つの高裁があり、各々そのトップに長官が就任・君臨している。
 当然のことながら、高裁長官になる方は、いわゆる裁判官の中でもトップレベルのエリートであり、実務能力(判決起案能力)にも長けているはずであるが、「日常、どのような仕事をされているのか?」と前から疑問に思ってきた。管内裁判官の人事評価だけでもあるまいに。だが、不本意な高裁判決を承けた後、心血注いで、最高裁宛の上告理由書や上告受理申立理由書を起案して提出すると、三つの最高裁小法廷のいずれに当該記録が配点されるのか気になるところであるが、予想があたることが多いことから、ふと、思った。実は、高裁長官は、同高裁に提出されたすべての上告理由書や上告受理申立理由書を閲読し、これという事件については、最高裁首席調査官に対し、配点先の小法廷の適性について意見を付しているのではないか?という気がする(高裁長官に聞けば、絶対に否定するであろうが…)。……てなことを、同期会の席でも話した。

 

「老いる」といえば、一時、赤瀬川源平の「老人力」というのが流行った。

今年の正月、妻の実家で、東京在住の義弟(外科医)からうかがった話であるが、
勤務先の病院で、彼の部下として、旭丘高校・名市大卒の女性外科医が就職してきたらしい。
で、彼が彼女に「旭丘高校卒の有名人の名前をあげてみて」と要求したところ、赤瀬川源平の名前も出てこなかった、と言って驚いていた。「名古屋大学医学部名誉教授のN先生の名前はでて来ないのか?」と質したところ、「あっ、そういえば、河村市長のことは知ってましたよ。『金メダルを囓った先輩』としてだけど。」だと?!