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西行と空海にみる、真言宗と神道との関係(覚書)

西行は、真言宗の僧侶として知られるが、何度か伊勢神宮に詣でているし、
晩年の6年間(1180-1186)は、伊勢にて居住していた、という。
そして、西行が伊勢在住時に詠んだ次の歌から、西行は、神仏習合(=本地垂迹説)、具体的には、伊勢神宮の主神(天照大神)が、大日如来(本地)の仮の姿(垂迹)との思想を抱いていたもの、と考えられる。

榊葉(さかきば)に心をかけん木綿(ゆう)(し)でて
 思へば神も仏なりけり[山家集1223]

[現代語訳]榊の葉に木綿を垂らし、心をかけて神に祈ろう
 思えば神(伊勢のアマテラス)の本地は、仏(大日如来)であられるのだ。

深く入りて神路(かみじ)の奥を尋ぬれば
 また上もなき峰の松風[御裳濯河歌合71]

[現代語訳](伊勢神宮の内宮の南方にある)神路山を奥深く訪ねていくと、最高の峰(霊鷲山)に吹くのと同じ、松風が吹いている

<参考文献>
久保田淳ほか校注「西行全歌集」(岩波文庫)
後藤重郎校注「山家集」(新潮社)
篠原資明「空海と日本思想」(岩波新書)

 

では、真言宗の開祖・弘法大師空海は、神仏習合=本地垂迹説を採っていたのか。

私見では、空海にとっては、大日如来こそが絶対真理であり、究極のさとりであって、神々は、その化身(不動明王)か、眷属(十二神将等)であっても、アマテラスのことは、大日如来の化身と思われていなかった、というより、そもそもアマテラスなど、空海の念頭にはなかったと思われる。この意味では、空海は、西行のような本地垂迹説を採っていたとはいえない。弘法大師空海の著作には、伊勢も、アマテラスも登場しないのだ。

だが、空海の心論においても、神の象徴である「鏡」は登場する。絶対真理の象徴として(「鏡はいわく喩の名なり」)、あるいは、迷える者を救うために姿を変えて現われた仏身(「鏡は、染浄本覚と及び応化身とを表す」)として語られる(十住心論・巻第九)。つまり、空海の思想においても、仏身としての仏の象徴は、神の象徴とが共通していることにおいて、神仏が習合していたように思われる。