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西行の涙

西行(1118-1190;平安末期~鎌倉時代の元武士にして僧侶・歌人)は、伊勢神宮を参拝したときの、「感動の涙」を詠んだ歌が有名だが(「何ごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」)、
西行が「月夜の晩」に詠んだ「涙」の歌は、すべて「禁断の片想い」を詠った歌である。大方、「涙」の位相は、二つのパターンに大別できる。

第1のパターンは、「金色夜叉」(尾崎紅葉)よろしく、叶わぬ「禁断の片想い」ゆえに「涙目」となって、「月が曇って見える」というパターンである。

涙ゆゑ くまなき月と曇りぬる 
 天(あま)のはらはら とのみ泣かれて(山家集637)

(現代語訳:涙のため、周囲をくまなく照らす月も曇って見える。満たされない恋の想いに、はらはらと涙がこぼれて…)※「天の原」と「はらはら(泣ける)」とを掛ける。

おもかげに 君が姿を 見つるより
 にはかに月の 曇りぬるかな(山家集639)

(現代語訳:月をながめていて恋人の面影が、澄んだ月の中に浮かんでいるのを思い浮かぶのを見るや否や、にわかに涙で月が曇ってしまった。)

涙ゆゑ 月はくもれる 月なれば
 ながれぬ折ぞ 晴れ間なりける(山家集643)

(ままならぬ恋ゆえの涙で、曇って見える月なので、涙の流れない折こそが、さやかに月が照る、雲の晴れ間であることよ。)

 

西行が月夜に涙する、第2のパターンは、目から溢れ出て、袖や、袖の袂(たもと)に流れた落ちた涙に「月が宿る」パターンである。つまり、袖等に溜まった涙の上で、月の光が反射して、その涙が光って見える、という趣旨であろう。

もの思ふ 袖にも月は 宿りけり 
 にごらで澄める 水ならねども(山家集632)

(現代語訳:濁ることなく澄んだ月が月光を映すにふさわしい水ではなけれど、私のもの想う袖の涙にも、月は光を宿すことである。)

よしさらば 涙の池に 袖ふれて
 心のままに 月を宿さん(山家集634)

(現代語訳:もうこうなったからには、涙がとめどなく流れて池となった、その池に袖をひたして、思う存分、月を宿そう。)

うちたえて なげく涙に わが袖の
 朽ちなば何に 月をやどさん(山家集635)

(現代語訳:恋人との交渉が絶えたことを歎く涙のために、月影を宿してきた自分の袖が朽ちてしまったならば、今後は一体何に月影を宿したらよいのだろう。)

世々経(ふ)とも 忘れがたみの 思ひ出は
 たもと(袂)に月の 宿るばかり(山家集636)

(現代語訳:幾世経ようとも忘れることのできない忘れ形見としての思い出は、叶わぬ恋ゆえの涙に濡れる袂に宿る月だけだよ。)

 

西行の「禁断の片想い」の相手は、待賢門院(たいけんもんいん)」(藤原璋子;鳥羽天皇の皇后[中宮])だったらしい。百人一首に撰ばれた西行の歌「嘆けとて 月やはものを思はする かこち顔なる わが波だかな」も、待賢門院への片想いを嘆く歌とか(確かに別嬪だもんなぁ…[下掲・肖像画])。

 

<参考文献>
新潮日本古典集成「山家集」(後藤重郎校注)