北口雅章法律事務所

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「あいちトリエンナーレ訴訟」の敗訴結果を受けて

先週、「あいちトリエンナーレ訴訟」の件で、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)から、令和6年3月6日付けで、いわゆる「三行半決定」をいただき、名古屋市側の全面敗訴が確定した。

 

結果として、 最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は、昭和天皇の肖像写真をバーナーで執拗に燃やした上で、その灰を少女が靴で踏みつける映像を含む、国辱的なハラスメント作品を、公共主催のもと、県立美術館で展示する芸術祭に対し、名古屋市民の税金を支出することを一部拒んだ、河村市長の裁量的判断を否定した。

市側の負担金支出を拒否した河村市長の判断の正当性について、公金支出に係る長の裁量権の逸脱・濫用の判断基準を明示することなく、これを否定した名古屋高裁の判断について、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は、何故、名古屋市側の上告ないし上告受理申立を受け付けず、その判断枠組みを明示しなかったのだろうか?

最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)は、昨年の判決(令和5年2月21日判決)では、「行政の政治的中立性」に基づいて、市民の表現活動を制約した金沢市長の判断を是認している。具体的には、民間団体が、金沢市長の管理に属する金沢市庁舎前広場で、「憲法施行70周年集会」を開催することに許可を申請したことについて、名古屋高裁金沢支部が、その不許可が憲法の保障する表現の自由を侵害し、裁量権の範囲を逸脱するものである旨の判断をしたのに対し、最高裁第三小法廷は、これを許可したのでは、行政の「外見上の政治的中立性」に対する住民の信頼が損なわれ、ひいては公務の円滑な遂行が確保されなくなることから、これを回避するための判断として金沢市長の判断は合理的であり、適法であると説示した。

だったら、「あいちトリエンナーレ訴訟」事案でも、上記のごとく、反日的な政治色の強い作品展示に対し公金支出することについて、河村市長が「行政の政治的中立性」を害することを理由に公金支出を拒否した裁量的判断は、合理的なものではないのか?

また、最高裁第三小法廷(長嶺安政裁判長)は、「懲戒免職処分取消、退職手当支給制限処分取消請求事件」に係る昨年の判決(令和5年6月27日判決)では、酒気帯び運転を理由とする懲戒免職処分が重すぎるとして取り消した仙台高裁判決については、教育委員会の裁量基準を明示しなかったことを理由に取消し、当該懲戒免職処分が教育委員会の裁量範囲内にあるとして、その適法性を是認した。

だったら、「あいちトリエンナーレ訴訟」事案でも、河村市長の判断は、地方自治体の長の裁量範囲ではないのか?

 

しかも、河村市長の本件判断は、名古屋市の検証委員会の決議での結論(負担金の一部拒否は不当ではない。)の踏まえてものであり、同検証委員会の座長には、母校(旭丘高校)の先輩である山本庸幸・元最高裁判事に就任していただいていた。

割り切れない思いを抱きつつ、昨日、山本庸幸「大先輩」(元内閣法制局長官・元最高裁判事)に対し、「ご報告」とともに、小職の「力不足」を詫びる旨のメールをしたところ、すぐに返信メールで、レトロスペクティブなコメント(秘)をいただいた。「なるほどぉ! そうゆうことかぁ…」と、思わず納得してしまった。さすが元最高裁判事でした。

ちなみに、「大先輩」には、御著を「名古屋の丸善」に見かけたので、早速購入し、拝読させていただきます、とお伝えしたら、「回想録、出したばかりなのにもう名古屋に置いてありましたか。」と驚かれていた。

 

昨晩は、「回想録」のうち、生い立ち~旭丘高校時代の部分と、内閣法制局長官から最高裁判事に就任されて以後の部分を拝読した。これから、その中間部分を読むとしよう。ちなみに、大先輩の「六年余りの(最高裁判事)在任中に関与した判決のうち、特に記憶に残るものといくつか取り上げたい」として紹介されている最高裁判決の中に、小職が、かつて上告受理申立代理人として携わった「遺族補償給付等不支給処分取消請求事件」(最高裁平成28年7月8日第二小法廷判決)も紹介されていた。

 

(追記)

山本庸幸先輩の記事をネットでみつけたので、消されないうちに残しておこう。