弁護士のブログBlog
2023年7月、すすきの(札幌)のホテルで「頭部のない男性(当時62)」の遺体が見つかった猟奇的殺人事件。「首を自宅に持ち帰って弄んでた」統合失調症(?)の娘R(当時29歳)とその両親が起訴されている。一昨日(令和7年2月18日)、父親(61)に対する裁判員裁判が結審し(求刑・拘禁10年)、3月12日に判決が言い渡されるらしい。
まるで、武田泰淳の「ひかりごけ」〈飢えを凌ぐ極限状態の中で、人肉を食べた被告人を殺人罪で裁判にかける、とった設定の戯曲〉を彷彿させる世界だな、というのが第一感。
起訴状によれば、父親の加担行為は、凶器のノコギリやキャリーケース等を購入し、主犯の娘Rに提供したほか、犯行当日に娘Rを車でホテルに送迎した、という殺人幇助が、被疑事実らしい。
「検察官の論告」の前に、被害者の妻の陳述が行われた。
言いたいことは、解らないわけではないが…
しかし、父親は、おそらく確信犯であろう。「娘の犯行をなるがままに委ねる外ない。」といった諦念に近い、「心の闇」の存在を窺わせる。
たとえ国選弁護人であろうと、一般の弁護士の心理としては、もとより、かかわりたくない類いの事件である。
父親は、「娘の犯行を知ったのは事件後のことである」ことを理由に無罪を主張している、とのこと。弁護人の浅はかな入れ知恵かもしれないが、そんな弁解など通るわけがない。
父親は、精神科医として、覚悟を決めて、娘が実行するであろう犯行を当然に予見し、それを認容していたものと考られる。
父親のやったことは、限りなく間接正犯(意思無能力者の行為を道具にように使用して自己の犯意を実現する類)に近いことだ。
にもかかわらず、検察のこの主張〈論告〉はなんだ!???
「一人娘の意思を尊重」した、というのは恐らく真実だろう。
だが、「結果的に」加担したというのはおかしい。いくら「心が病んでいる」とはいえ、彼の一人娘は、被害者の「人間としての尊厳」を完全に冒瀆しているではないか。「精神科医」の専門知識をもつ人物が、最初から「精神に『闇』を抱えた」娘の行動を予期・予見して、その「お膳立て」をしているではないか!!
もし仮に、弁護士会からの要請で、私が国選弁護を引き受けざるを得なくなったと仮定した場合、刑事弁護人として、私なら、どのような弁護活動を行ったであろうか…?
ここで、ふと思い起こすことが、
『論語』〈子路第十三〉に出てくる。
葉公、孔子に告げて曰く
「私の郷里〈党〉に、素直な者がいる〈躬を直くする者あり〉。その者の父親が羊を盗んだ〈攘む〉。すると、その者は、父親の窃盗罪を包み隠さず、証言した〈子これを証す〉。」
孔子曰く
「私の郷里の素直な者〈吾が党の直き者〉は、これに異なり。父は子のために隠し、子は父のために隠す。素直ということの真の意味は、こうした自然の人情の中にあるのではないかね〈直きこと、その中にあり〉。」
札幌すすきの殺人事件での、父親における「自然の人情」とは、精神科医にして、心を病んだ娘を抱え、その全てを受け容れざるを得なかった父親としての「覚悟」ではなかったか。決して赦されることではないが…。