北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「クリミア戦争」を思い起こした

トランプの茶坊主・腰巾着に、理念や正義を語る資格などない。

 

「ロシア・ウクライナ戦争」の今の構図は、アメリカ・ウクライナの決裂によって、帝政ロシア時代の「クリミア戦争」のときの構図に似てきた(ように思えた)。
ロシアは、……、伝統的な南下政策(注:不凍港の獲得と地中海への進出)を再開し、1853年にはギリシャ正教徒保護の名目でオスマン帝国に宣戦した(クリミア戦争)。イギリス・フランスはロシアの地中海進出を阻止するためオスマン帝国を支援し、戦争はヨーロッパ列強同士の戦いになった。
オスマン帝国をウクライナに置き換えると、現在の状況に似ていなくもない。イギリス・フランスの役割に期待するしかないが、どちらの国もかつてのような力はなさそう当時、ウクライナ(クリミア半島の北部に接続した領域)は、ロシア帝国の領土であった(下掲・地図の青色矢印部分)。

クリミア戦争のときは、「クリミア半島の…要塞をめぐる攻防の末にロシアは敗れ、56年のパリ条約で黒海の中立化と1840年のロンドン会議の取り決め(注:ボスフォラス・ダーダネルス両海峡における外国軍艦の航行禁止の取り決め。これによって、ロシアの南下政策は阻止された。)を再確認させられ、南下政策を一時中断した。」(「詳説世界史」山川出版)

だが、今のイギリス・フランス・EUによるウクライナ支援は、限定的な財政支援、つまり、軍備・兵器の購入費の資金供与に限られており、これだけは、ウクライナの領土奪還は難しいであろう。もっとも、素人的には、アメリカがウクライナの軍事援助から手を引くのならば、ヨーロッパ独自の判断のもと、ウクライナの先制的自衛権の行使として、ロシア領土内の軍事施設の直接攻撃を認めてやってもいいのではないか。