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現代語訳 「遠野物語」 の試み

日本人が,ノスタルジア(nostalgia 郷愁)を感じる「伝説・昔話」といえば,
やはり,柳田国男「遠野物語」に優るものはない。
学生時代に原文を読んで以降,再読していないが,
最近になって,
三浦佑之/赤坂憲雄著「遠野物語へようこそ」(ちくまプリマー新書)と
石井正己著「柳田国男 遠野物語」(NHK「100分 de 名著」ブックス)
を読んだところで,やはりいろいろな意味で興味を覚えた。
そこで,我流「遠野物語」の現代語訳(全訳)と解説を併せた,
「私家版・『遠野物語・全訳』」本を書いてみたい! ,という衝動にかられた。

もとより,原著は「古典」的な名著ではあるが,文語調で,解りにくいところがあり,
柳田国男は,ローカルな表現を排除して,物語の普遍性を志向したといわれるものの,
なお,情景を思い浮かべるにエネルギーを要する語彙・表現が頻出する。
そこで,語彙力の落ちた(私を含む)現代日本人でも,一読して,光景が頭に思い浮かべられつつも,「物語の本質」を掴み損ねないような現代語訳本を作ってみたい,という思いが募った。

このような思いにかられたところで,
同じような趣旨からか,同様の試みをされたものと思われる,先人の本を見つけたので,
買ってみた。これが,

石井徹訳注・石井正己監修「全訳 遠野物語」(無明舎出版)

かなりの労作ではあると思ったが,この訳文でも,
なお語彙力の落ちた現代人(私を含む)には「解りにくい!!」と感じた
であるからして,名著「遠野物語」を民俗学研究者らの研究対象の領域にとどめず,
物語の根底にある,「日本人の心・魂」を,平易な文章で後世に伝えるためには,
もっともっと解りやすい,現代人向けの「忠実な」「意訳」が必要だと思う。

かくて,WADASUが,試みに現代語訳してみたのが,次の第二二話

 

第二二話 魂の行方・一(まわる炭取り)

 佐々木君(語部[かたりべ])の曾祖母(そうそぼ;祖母の母)が老衰で亡くなり,納棺を済ませた日の夜のこと。当時,祖母(亡曾祖母の娘)は,精神障害を患ったため,嫁入り先から実家に戻されてきていた。集まった親族たちは,皆,佐々木家の座敷で寝ていたが,佐々木君の祖母と母の二人だけは,夜中も寝ずに,大きな囲炉裏の両側に座って起きていた。その理由(わけ)は,遠野郷の風習では,喪中は火の気を絶やさないこととされていたためで,母は,時折,横に置いた炭籠から炭を取り出して,囲炉裏につぎ足していた。
 すると,不意に裏口の方から足音が近づいてきた。見ると,亡曾祖母だった。生前の曾祖母は,腰が曲がって裾(すそ)を引きずるので,いつも「裾の先を三角に」取り上げて【注1】,前に縫い付けた縞模様の着物を着ていたが,目の前で近づいてきた幽霊も,そのような縫製を施した縞模様の着物だった。そして,あれっ?と思う間もなく,亡曾祖母は,囲炉裏の脇を通り抜けようとして,着物の裾が炭籠に触れたが,「丸い炭籠」【注2】なので,くるくると回った。気丈(きじょう)な母は,振り返って亡曾祖母の後ろ姿を目で追いかけたが,その姿が座敷の方に近寄っていくや,気が触れていた祖母が,「おばあさんが来た!」と叫んだ。
 寝ていた親族たちは,祖母の大声で眠りを覚まし,皆でビックリしたという。


【注1】裾の先の「三角」とあるから,曾祖母の着物は,下掲スケッチの如く,手で持った裾の先端が着物に縫い付けられて固定されていたのであろう。

 

 

 

【注2】下掲のような「丸い炭籠」が接線方向に押されたことで,ちょっとばかり回転運動をしたのであろう。

[解説]幽霊の裾が「丸い炭籠(「炭取」)」に触れたところで,炭籠がクルクルと回ったところがミソで,この件(くだり)について,三島由紀夫「ここがこの短い怪異譚(かいいたん)の焦点であり,日常性と怪異との疑いような接点である」と述べた(『小説とは何か』)ことで有名になったのが,上掲22話の怪談である。母が,曾祖母の着衣の特徴を具体的かつ明確に覚えていること,炭籠の回転運動に関する描写が生々しいところ(迫真性がある)が,単なる「作り話」(フィクション)では済まされない,リアリティ(現実味)を感じさせるのである。

 

・・・てな作業を始めてみようかと思ったが,かなり時間がかかりそうだ。
 なにせ,遠野物語は,「獅子踊りの歌」を除いたとしても,
 あと117話もあるもんね。