北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

続⑴ 「木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件」後のYoshiくん

「20年後の懺悔 ― 木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件 ―」というタイトルのブログで,後に死刑判決を受けた被告人ら(いずれも犯行当時少年)の国選弁護に関与したときの,体験記を書いたところ,いろいろな方が読んでくれたようだ。
(マスコミ関係者の方から電話をもらったこともある。)

さて,最近,上記事件で死刑判決を受けたYoshiくん(上記ブログでは,「C」と表記;名古屋拘置所在監)から,手紙が届いた。その趣旨は,要するに,「Yoshiくんと私との間の年賀状の発信・受信がいずれも不許可とされていたことから,名古屋拘置所長の当該発受不許可処分の違法を主張して,国家賠償請求訴訟を起こしたところ,勝訴判決を得た。北口先生の方にも送りましょうか?」というのだ。国相手の国家賠償請求訴訟での原告勝訴となると,かなりハードルが高いが,彼の場合,死刑確定囚という身分で,「社会からの隔離」というハンディを背負った中での勝訴判決であるから,見上げたものだ。Yoshiくんからの上記手紙に対し,さっそく「判決書を送ってくれ。」と返信はがきを書いたところ,このほど,彼から判決書数通が送られてきた。

何故,Yoshiくんと年賀状を交信する関係になったか?
というと,話が長くなるので,いずれ別のブログで書くことにするが,要するに,死刑判決確定後,Yoshiくんが連発的に提起した民事裁判のうちの約3件について, ―Yoshiくんの刑事弁護人ではなかったが ― 彼から懇請され,私も「ゆきがかり上」支援したことがあったからだ。

このブログは,「弁護士ブログ」なので,若干,法律の解説をした上で,彼が勝ち取った前記判決のうち,私に関連する部分だけを一部紹介し,論評しておきたい。

「死刑確定者の拘置」は,「社会からの隔離」(外部交通の遮断を含む)を本質とするが,「死刑確定者の信書の発受」は,「人権配慮の観点」から,一定の要件があれば,刑事施設の長の裁量によって,許すことができるものとされている(刑事収容施設法139条2項)。
 Yoshiくんと私との年賀状の交換が,許可されるか否かは,同条項の3号「心情の安定に資すると認められる信書」に該当するか否かにかかっている。
 Yoshiくんが平成26年初頭に提起した訴訟で,名古屋拘置所長は,(平成26年度の)年賀状が,同条項にあたらないとしたが,名古屋地裁平成29年11月16日判決(村野裕二裁判長)は,私とYoshiくんとの間では,「民事事件を依頼した実績があるほか,…2年以上にわたり年賀状が送付されていたこと」から「一定の交友関係が形成されていたこと」を認めた上で,その発受不許可は,「原告(Yoshiくん)も法的保護に値する交友関係を維持する利益を侵害したもの」であると認めた。そして,同名古屋地裁は,私と,同様の立場にあった他の弁護士を併せて,合計3名の弁護士に対する合計3通の年賀状の発信不許可処分によって原告(Yoshiくん)が被った精神的苦痛に対する慰謝料を「合計1万円をもって相当」と認めた。また,上記3名の弁護士からの年賀状を含む合計6通の年賀状の受信不許可処分に対する慰謝料の方は,「合計2万円をもって相当」とされた。
 これに対し,原告(Yoshiくん)は,認容額等を不服として控訴したところ,名古屋高裁平成30年5月18日判決(永野圧彦裁判長は,私を含む合計3名の弁護士に宛てて,原告(Yoshiくん)が発信しようとした年賀状を発信不許可について,年賀状1通に対し各3500円(合計3通で1万0500円)の慰謝料を認め,私を含む合計6通の年賀状の受信不許可処分に対する慰謝料についても,各3500円(合計2万1000円)の範囲で損害賠償を認めていた。

 実は,上記判例の前提には,Yoshiくんが既に勝ち取っていた先例があり,
何と!,ここでも,私が敬愛する藤山雅行裁判官が絡んでいた。

 すなわち,上記裁判に先行して,Yoshiくんは,平成25年の年末ころ,他の弁護士(オウム真理教・麻原彰光らの弁護人で知られる安田好弘弁護士を含む)からの「年賀状の受信」に係る不許可処分を含む,名古屋拘置所長の各種不許可処分が違法であることを主張して,国家賠償請求訴訟を提起していた。
 この裁判では,名古屋地裁平成28年2月16日判決(倉田慎也裁判長)が,Yoshiくんの請求を一部認容していたが,安田弁護士らとの年賀状の受信については,一般論として,刑事収容施設法139条2項は,「死刑確定者の人権に配慮するという観点」から,「弊害を生ずるおそれがない限り,友人・知人等との良好な関係を維持するための外部交通を認めるのが相当」であるとしつつも,「年賀状の交換は,儀礼的・形式的に行われることもあり,本件においてその受信を必要とする具体的事情を認めるに足りる証拠はない。」ことを理由として,それらを受信不許可とした名古屋拘置所長の判断に,裁量権の逸脱・濫用はないと判示していた。
 これに対し,Yoshiくんは控訴したところ,名古屋高裁平成29年3月9日判決(藤山雅行裁判長は,「年賀状は,日本においては交友関係の維持の手段として広く定着しているものであり,その発受により刑事施設の規律及び秩序を害するおそれがあるものとは認められない。」と判示し,Yoshiくんと各弁護士との「一定の交流実績」を根拠として,安田弁護士らからの年賀状の受信の不許可処分は,裁量権を逸脱・濫用したもので,国家賠償法上違法であると判示していた。しかも,年賀状1通の受信不許可処分に対し各5000円の慰謝料額を認容していた。

 藤山部長(名古屋高裁民事4部)の慰謝料評価5000円と,永野部長(名古屋高裁民事1分)の慰謝料評価3500円との違いをどうみるか。その評価は各読者の判断に委ねるが,少なくとも原審・名古屋地裁(いずれも合議)に関与した各裁判官は,なお死刑確定囚に対する人権感覚が不足していた,と反省すべきであろう。

ところで,
言いたいことをハッキリというのが,このブログの「面目」であるが,
さらに上記各判例評価に加えていいたいことがある。

 実は,Yoshiくんの「年賀状訴訟」は,上記各裁判に尽きるものではない。

 Yoshiくんは,平成26年12月2日に発信を願い出て,発信不許可となった私宛の年賀状と,同年末に,私からYoshiくん宛に送信されてきていた年賀状を含む(平成27年度の)年賀状等の,受信不許可処分についても,その違法性を主張して国家賠償請求訴訟を提起しており,当該訴訟は,私が自らの弁護活動の主力を傾注する「フィールド」である名古屋地裁民事4部(医療集中部に係属していた。
 ところが,名古屋地裁平成29年1月13日民事4部判決(朝日貴浩裁判長は,「本件年賀状」は,「年始の挨拶」という内容にとどまること,「民事訴訟に関する相談や協力」といった「弁護士としての職務上の関係があったにすぎず(ない)」ことを根拠に,名古屋拘置所長の判断がその裁量を逸脱したものとは認められない,と判示してYoshiくんの請求を棄却したのであった。
 朝日裁判長の判断は,名古屋地判平成28年2月16日の倉田判決と同レベルとはいえ,藤山判決に示されている「人権感覚」との違いは明らかであって,このような「人権感覚の違い」は,「医療被害の救済」を本旨とする医療裁判でも,「暗い影を落とす」ことは自明であろう。
 医療集中部で,「患者の人権」への配慮に疑念を抱かざるを得なかった数々の「痛い」判決を連続的に受けた経験のある代理人当事者としては,殊に,医療事件集中部,行政事件集中部,及び労働事件集中部こそ,「人権感覚」に秀でた裁判長をあて,仮にそうでないとしても,最低限1名は,「人権感覚」に秀でて,「裁判長にモノがいえる」陪席裁判官を当ててもらいたいものだとつくづく思う。