北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

悟東あすか著「神さま仏さまが『こっそり』教えてくれたこと」を『こっそり』教えてあげる!

「悟東あすか」氏は,真言宗の尼僧とのこと。

私は,かつて石原法律事務所にて勤務していた時代,
裁判になると,連戦連勝を誇り,敗訴するなどいう希有な事態は,
指折り数えられる程度にしか経験がなかった。
ところが,その私も,独立後は,数々の「煮え湯」を飲まされ,「艱難辛苦」の連続であったし,ここ数ヶ月は,いよいよこれは,ちょっと「お祓い」に行かんといかんかな,
と思う事態が立て続けに起きて,(*_*) マイッタ。

このような逆境に陥ったときでも,「常日頃の心がけ」がいいと,
不思議と「神仏の声」が聞こえるかのごとくに,
ふと,いろいろ閃くことも,全くないわけではない。

前掲・心境のときに書店で出会ったのが,表題の書,
悟東あすか著「神さま仏さまが『こっそり』教えてくれたこと」
ブログ読者にも,この本のことを『こっそり』教えてあげちゃうもんね。
逆境の方は,是非,この本を買って,『こっそり』読むといいよ!

例によって,読んだ書籍の中身をブログで紹介すると,
友人の弁護士から,
「お前,著者の著作権を侵害していないか? 大丈夫か?」と
責められることがある。
しかしながら,他人の書物(「公表された著作物」)の内容を紹介すること(「引用して利用すること」)は,①「公正な慣行に合致」すること,②「報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で」であれば,許容されており(著作権法32条1項),私ごとき,しがない「田舎のマチ弁」がブログで書籍の中身を一部引用・紹介したから,といって法的には問題はないであろう。経済的にも,私のブログを読んで「この書籍の買う気が失せた」という方も殆どいないであろうし,その反面,時折,「先生のブログで紹介されている本は,極力読むようにしています!」という私のブログの愛読者も全くいないわけでもない。したがって,陰ながら,当該書物の売り上げに貢献する可能性もあるものと思っている。

さて,前置きは,このくらいにして,

著者の悟東あすか氏(真言宗尼僧)が,「神さま仏さま」から「『こっそり』教えて」もらったてことの殆どは,実は,私も,既に「神さま仏さま」に通じている先達の方々から「『こっそり』教えて」もらっている(常日頃は,忘れてしまっていることが多いが)。であるからして,悟東氏の御著は,「復習」といった感覚で読むことになるが,
それでも,この本を読んでいるうちに,

背筋がゾゾッとした瞬間があった。
読者によって,そのような瞬間はまちまちであろうが,
私が感銘を受けたのは,
「人の寿命というものを,人間側の思いだけで考えてはいけない」
と気づかされた出来事として,彼女が紹介されている,
要旨次の逸話を読んだときだ。

著者は,末期癌の父親をもつ娘さんから,要旨次の依頼を受けた。
末期癌の宣告を受け,死を覚悟した父は,郷里に帰って,迷惑をかけた人々への謝罪回りと,お世話になった方々への挨拶回りのために旅行したい。医師に相談したら『言語道断だ。』と言われたが,父は,『命の保証はなくてもよい。ドーシテモ,行きたい!』というので,私が,旅行先の病院でのケアを手配し,車いすを携えて父を,帰郷の旅に連れて行くことにしました。ついては,旅行の間は,仏様のお力でなんとか父の命を保たせて欲しい。」
というのだ。
著者は,その依頼を引き受け,毎日,特別な祈祷『線香護摩』を焚(た)き,
不動明王に,道中の無事を祈願した。
その結果,その患者は,無事旅行を終え,療養生活に戻ることができた。
ところが,
その約1か月後,その娘さんから,要旨次の連絡があった,という。
「父の介護が大変で,家族全員が疲労困憊している。
 いつまでこの状態が続くのでしょうか。旅に行けたのはよかったけれど,
 毎日がつらいです。」と。
そこで,著者は,はたと気づく。
本来は,誰しも(その患者も家族も),自分自身の寿命の中で,学び,修行すべき存在なのであって,僧侶が,死に対して善悪を判断し,固執してはいけなかったのだ,と。
そして,その娘さんから,上記電話を受けた翌日,その患者は逝去された,とのこと。

このような出来事に「神(仏)の啓示」を感じ取ることができるか否か,
これが「信仰」の本質であろう。