北口雅章法律事務所

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学者・梅原猛先生の逝去を悼む

2019年(平成31年)1月14日
朝日新聞朝刊・第1面に出た,

「梅原猛さん死去
 93歳 哲学者,日本古代史」

嗚呼,ついにこの日がきたか・・・
梅原先生の所説には,賛否両論あるが,
根強いファンは多いと思われる。私のような。

「巨星・墜(お)つ」という言葉がある。
輝かしい光を放つ偉大な人物が亡くなるときに使う言葉だ。
が,梅原先生の死去についての,私の印象は,
失礼ながら,
「巨星・墜つ」ではなく,「巨木・枯れる」だ。
「巨星」であれば,天に光り輝き,
 弟子達が,師匠を仰ぎ見て,師匠の説を祖述し,
 一大学派を承継・形成していく,というイメージがある。
これに対し,梅原先生は,孤高の「巨木」というイメージだ。
「巨木」は,周囲の養分を吸い取って育つが故に,
「巨木」の周囲には,巨木はできない。
つまり,師匠の才智を受け継ぐような弟子は育たない
(お弟子さんがみえたら,ゴメンナサイ)。
梅原先生の,あっと驚く所説は,誰もマネができない独特・独自のものだからだ。

梅原説との出会いは,私が高校2年のとき,今から約40年前に遡る。
友人のM君が,「面白いから,君も読むといいよ。」と勧めてくれたのが,
梅原猛著「隠された十字架」だった。

朝日新聞には,「独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者」で云々と述べられ,1972年に「奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする『隠された十字架―法隆寺論』を出すと・・・」と結論だけ書かれているが,どのような考察を根拠とされてるか,「大胆な仮説」であることの所以については,全く書かれていない。

高校時代に読んだ本は,すべて実家の書棚に置いてあるので,
すぐには,中身を確認できないが,私の記憶の中では,次のようなことが書かれていたように記憶している(間違って記憶していたら,梅原先生,ゴメンナサイ。)。

梅原先生曰く「聖徳太子は暗殺された!!
多分,暗殺者は,藤原不比等!(だったったけかな?,ちと忘れた)」

梅原先生曰く法隆寺の釈迦如来像をみよ。
あれは,恐らく聖徳太子の等身大で,聖徳太子に見立てて造顕されている。
額の眉間に釘(クギ)のようなものが刺さっていよう。これは,
聖徳太子の怨霊の呪力を封じ込める目的で刺したものではないか。」

梅原先生曰く法隆寺の中門を見よ。真ん中に柱が立っていて,入門を拒んでいるように見えないか? いや,そうじゃない。実は,聖徳太子の怨霊の呪力を,法隆寺の境内に封じ込めるために,ワザと真ん中に柱を立ててあるのだ。」と。

大胆にして,直観的に鋭い仮説が梅原説の持ち味だ。
あまり学術的ではなく,実証性に欠ける面がないではないが・・・。

以来,私は,梅原古代学に魅せられ,高校時代,
『水底の歌 柿本人麿論』,『黄泉の王 私見・高松塚』,『塔』等
梅原先生の著作物を読み耽った。
ちょうどその頃のことだ。梅原先生のお顔を拝顔できたのは。
わが母校の開学100周年の記念行事の際,
梅原先生が,わが母校に講演に来られたのだ。
それ以後,お会いすることはできなかったが・・・。

その後も,梅原先生の著作はいくつかは読んだ。
『京都発見』『梅原猛の授業――道徳』『神殺しの日本 反時代的密語』
そして,『歓喜する円空』に,『親鸞「四つの謎」を解く』

昨年,思いがけず,日本円空学会理事長の小島悌二先生が,
わが事務所においでくださったときに,
梅原先生のことに触れたら,こそっと教えてくれた。
「梅原先生の著書は,どれも軽く5万部は売れる。
ところが,『歓喜する円空』は2万5000部しか売れなかった,
といってブーブーいわれていた。私の(小島悌二著)『円空入門』の販売部数が約・・・・部であったのに比べれば,・・・なのに!」と。

これでまた,一人,日本が寂しくなった。

最近の若者は,本を読まなくなったというが,
どなたか,次の世代の若者たちに,梅原古代史の書物を読む面白さを教え,伝えてもらいたいものだが。
(梅原先生に質問状を出して,ご教示をいただきたいことがあったが・・・・。小島先生のお話では,すでに昨年の時点で,梅原先生は,表に顔をお見せにならなくなっていたとのこと。ああ残念。)

謹んでご冥福を祈ります。合掌