北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「サリンジャー」の思い出

オウム真理教が開発・散布した毒物は何んだ?
『サリン』じゃぁ-,・・・・じゃないんだよ。

学校を退学となり,あてどなく街を彷徨する主人公ホールデンをして,
「ライ麦畑のキャッチャー,僕はただそういうものになりたいんだ」
と語らせた,J.D.サリンジャーの青春小説
『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)1951』
(野崎孝訳・白水社1964年)について,

直木賞作家の桜庭一樹氏が,
昨年12月15日の朝日新聞で紹介していた。

 

「主人公ホールデンが,学校を退学になり,恩師や妹に会ったりと,あてどなく街をさまよう二日間の物語。彼は,一つのことに集中して努力したり,その結果をじっと待ったりができない性分だ。会話も,行動も,常に,動く,逃げる,嫌がる,の繰り返し。そんなホールデンのことを誰も理解できなくて,いったいどうしたいのかと聞く。すると彼はこう答える。ライ麦畑に何千人も子供がいて,ときどき崖から落ちそうになってる。僕はその子供をキャッチする人になりたいだけだ,と。」

著者は,1919年,マンハッタン生まれ。父は裕福なユダヤ人。1942年,第二次世界大戦に従軍し,ノルマンディー上陸作戦等を経験。捕虜になった「ゲシュタポ」(ナチス・ドイツの秘密国家警察)の尋問を請け負うなど,ホロコーストを目の当たりにする。ドイツ降伏後,PTSDの治療を受けた。

桜庭氏は,いう。

「主人公ホールデンが,心ここにあらずの饒舌(じょうぜつ)さで語り続けるのは,『危険だからここにはいられない』という,著者が戦場で被ったトラウマと,『死んでいった人を助けたい』という,胸が張り裂けるような思いだ。」

そして,

「ライ麦畑とは,戦場,子供とは,兵士のことだったのだ。」

「本書は,本来語り得ぬはずの戦争体験を,青春小説に擬態して語った,
 一人の元兵士の渾身(こんしん)の咆哮(ほうこう)なのだ。」と。

 

私も,大学時代,友人から,「『ライ麦畑でつかまえて』を読んで面白かったから,
君も読めよ。」と勧められて,つられて読んだ覚えがある。
特に感銘は受けなかったが,やはり,何も解っていなかったのだ。

ただ,妙に記憶に残ったのが,『(主人公の)弟のミット』の話だった。

先日,久しぶりに実家に帰って,
書棚から『ライ麦畑でつかまえて』を手に取り,拾い読みしたら,
あった,あった。

主人公の学生寮で,相部屋友達(ストラドレーター)から,
作文を頼まれた主人公が,作文の内容について語り出す場面。

「…弟のアリーの野球のミットのことを書いてやった。
 …弟のアリーはね,ギッチョの野球のミットを持っていたのさ。
 あいつ,ギッチョだったんでね。…,アリーの奴が,ミットの指のとこにも手を突っ込むとこにも,どこにもかしこにも,いっぱい詩を書いてあったんだ。緑色のインクでね。そいつを書いておけば,自分が守備についている場合,誰もバッターボックスに入ってないときに,読む物ができるっていうんだ。もう死んだんだけどさ,弟は。
うちじゅうでメイン州に避暑に行ったとき,白血病になって死んだんだ。
1946年の7月18日。君もきっと好きになったと思うな。僕より2つ下なんだけど,頭は僕の五十倍ほどもいいんだ。頭のよさはこわいみたいだったよ。
…。しかし,あいつは家族の中で一番頭がいいというだけじゃないだな。
 一番いい人間でもあったんだ,いろんな点で。
 およそ,ひとに腹を立てたことなんか一度もない。…」

「…いやあ,それにしてもいい子だったな。夕食の食卓で,何かを思い出しちゃあ笑いこけて,よく椅子から転げ落ちそうになったもんだ。僕はまだ,ほんの十三だったんだけどね。みんなが精神分析やなんかを受けさせようとしたんだな。僕がガレジの窓をみんなぶっこわしたもんだから。みんなを責めはしないよ,僕は。ほんとだよ。あいつが死んだ夜,僕はガレジに寝たんだけど,拳(こぶし)で窓をみんなぶっこわしてやったんだから。他にわけがあったわけじゃない,ただぶっこわしたかったからぶっこわしたのさ。その夏にうちで買ったステーション・ワゴンの窓もぶっこしてやろうとしたんだけど,そのときはもう,手がぐちゃぐちゃになっててね,できなかった。そんなことをするなんて,実に馬鹿げたことだとは僕もみとめるけどさ,でもほとんど無意識のうちにやっちまったんだ。それに君はアリーを知らんからな。今でもときどき手が痛むことがある。…」

「とにかく,僕がストラドレーターの作文に書いたのはそういうことなのさ。
アリーの奴の野球のミット。ちょうどそのとき僕は,そのミットをスーツケースの中に持ってたもんだからね,そいつを取り出して,そこに書いてある詩を書き写したんだな。ただ,アリーの名前を変えて,その詩が僕の弟の詩で,ストラドレーターの弟のじゃないってことが誰にもわかないようにすれば,それでよかったのさ。…」