北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

岡口基一判事と,その他の東京高裁判事らとの関係に思う

先日,実家に帰り,書棚から学生時代に購入し,
「積ん読」 してあった本の中から,次の一節を読んで,
岡口基一判事と,彼をツブしにかかった,
周囲の東京高裁判事の面々のことが,頭に思い浮かんだ。

「裁判官は孤独な存在になりやすいし,孤立した人間というものはいかにも弱いものである。はじめのうちはするどい憲法的感覚を身につけていた若い裁判官たちも,5年10年とよどんだ裁判所の空気のなかですごすうちにいつのまにかその感覚がぼけていき,官僚機構のなかに埋没していく危険をもっている。しかも,…,最高裁判所を頂点とする司法行政の方向は,裁判官たちを『行政権力に弱く,既成事実をくつがえす勇気のない人間』鋳型にはめこむように,たえず強力にはたらいているという事実をみのがすことはできない。」

「出典」は,潮見俊隆(当時・東京大学教授)著「法律家」 (岩波新書)
1970年発行だから,今から約50年前の著述である。
が,その「職業としての裁判官」に関する分析は,
50年を経過した今日でも,全く妥当する。

潮見教授は,将来を嘱望された東大教授であったし,
その鋭い分析と,リベラルな批判的精神は,尊敬に値する。
が,残念なことに,岩波新書の発刊以来のスキャンダルで,
東大の教壇を去った。
同教授の著作『治安維持法』が,奥平康弘・東大名誉教授の著書『治安維持法小史』からの一部盗用が発覚してしまったのだ。そのスキャンダルを報じた新聞記事を確か高校時代に読んだ私は,上掲著作を積ん読したまま放置してしまっていたが,今読み返すと,いろいろ発見の多い名著であった。

 

潮見(うしおみ)教授の前掲著には,

松川事件を中心とした裁判批判に対する,
当時の最高裁長官・田中耕太郎の次の訓示が紹介されていた。

「われわれは裁判官がいかなる外部的勢力にも影響されることなく,毅然として良心的に職責を遂行していることを少しも疑わないのであります。ところである種の事件に関しては,一部の関係者が,自己の期待に反する裁判を法定外において批判攻撃し,はなはだしきに至っては,事件を演劇化して広く国民に訴え,裁判に対する不信感を植えつけ,また外国の同志にまで呼びかけて,裁判所を牽制しようとする運動を展開しているのであります。・・・。これは言論その他表現の自由をもってしても放置できないところであります。というのは,かような大衆運動によって,国民の広い層に一方的な予断が普及し,適正な裁判が行われても,国民がそれを不適正とし,ひいては裁判一般に対する国民の信頼に影響を及ぼす懸念があるからであります。・・・」(昭和34年5月25日,高裁長官・地家裁所長会同『裁判所時報』280号)」

今日のわれれは,田中長官が,
砂川事件の飛躍上告審の際,マッカーサー大使と「密談」した「偽善者」であることを知っているので,上記訓示を読むと,思わず,ぷっと噴き出してしまう。すなわち,マッカーサー大使が,アメリカ政府に宛てた公文書の中で,「田中最高裁長官との最近の非公式の会談のなかで、砂川事件について短時間はなしあった。長官は、時期はまだ決まっていないが、来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと言った。田中耕太郎長官は、下級審の判決が支持されると思っているという様子は見せなかった。反対に、それはくつがえされるだろうが、重要なのは、15人のうちの出来るだけ多くの裁判官が憲法問題に関わって裁定することだと考えているという印象だった。田中長官は、こうした憲法問題に伊達判事が判決するのはまったくの誤りだと述べた。」などという趣旨のことが記載されていたことが,スッパ抜かれたからだ

かの潮見教授は,前掲書の中で,
「主権者である国民の批判をおそれて,ほんとうの裁判の権威があるのであろうか。国民の裁判批判にたいする裁判官の心構えについてはたびたび言及する最高裁は,反対に政治権力に対しては大へんに無抵抗であり,アメリカの意向にもきわめて迎合的である。」と述べておられる。

このように,堂々と最高裁を批判できる学者が少なくなり,「日弁連推薦枠」を奪うように,弁護士経験が殆どない東大元教授の最高裁判事まで登場するようになった(「学者としての」矜恃があるのであれば,弁護士枠に立候補する理由はなかろう。)。今日の「東大法学部教授の権威」もいかほどのものか・・・,と,つい思ってしまう(宇賀先生は別として・・・)。