北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「荒れる女の園」(?) 昭和女子大事件の後日談

先のブログで,潮見俊隆先生の著書「法律家」(岩波新書)のことを紹介した。
昔の東大教授には,いかにリベラルな思想の持ち主がみえたかがよくわかる例なので,もう少し紹介しておきたい。

潮見先生は,「日本の裁判所と裁判官」について,
冒頭で「四つの仮説」を提示しておられ,それぞの仮説を,
実際の憲法裁判事例をもとに検証されている。

そのうちの「第一の仮説」が,日本国憲法の支柱をなす価値基準(国民主権,平和主義,基本的人権の尊重)は,地裁→高裁→最高裁と上級審に行くほど「悪くなる」という仮説である。
その検証事例の筆頭に出てくるのが,「(第二次)砂川事件」であるが,
本ブログでは,2番目に出てくる,昔懐かし「昭和女子大事件」のことと,敬愛すべき潮見先生のご意見等を紹介しておきたい。

「昭和女子大事件」は,模範六法にもその要旨が載せられていて,判決要旨をみただけでは,非常につまらない事件ではあるが,左翼的な思想のもつ元気な女子大生と,保守的な思想・学風をもつ大学当局との激しい確執が背景にあったようだ。

事件の概要は,昭和女子大学文家政学部のA・Bは,大学への事前の届け出なしに,左翼的な政治団体(日本民主青年同盟)に加入・所属し,次いで,学内で,届け出なしに,政治的暴力行為防止法案反対のための署名活動を行ったことが発覚して,大学当局の補導を受けたが,その際,補導主任から受けた取り調べ状況を記した日記を公表したり,「荒れる女の園」と題する報道番組に出演して,その取り調べ状況を公表したことが,学校当局の逆鱗に触れ,「学生の本分に反した者」に該当するものとして,退学処分を受けた。このため,A・Bが,本件退学処分が思想・信条による差別的な取扱いをしたもので,憲法の思想・信条の精神に反し,懲戒権の濫用として無効であると主張して争ったという事案である。

第1審の東京地裁民事3部・昭和38年11月30日判決(白石健三裁判長)と,控訴審の京高裁民事9部・昭和42年4月20日判決(毛利野富治郎裁判長)は,正反対の判決をくだした。
 すなわち,第1審・白石判決は,要するに,私立大学であっても,教育基本法,学校教育法,私立学校法の適用を受ける「公的教育機関」であるから,思想問題では,憲法原則(思想の自由,信条による差別的取扱の禁止)が公序として尊重されるべきであるから,「寛容であること」が法的義務として要求され,この寛容の基準に反した,本件退学処分は無効と判断された。これに対し,第2審・毛利野判決は,私立大学の場合,「学生の本分に反するか否か」の判断について,大学当局に広範な自由裁量があり,教育機関に相応しい手続・方法によって学生に反省を促す過程を経由すべき法的義務はなく,本件退学処分についても,社会観念上著しく不当とまではいえないから,懲戒権の濫用(無効)とは解されない,と判示した。

このような「思想の自由」に対するアンチ・リベラルな控訴審判決に対する,潮見先生の批判的評価は厳しく,いかにもリベラルな学者らしい。
かいつまんで要約すると,第一に,東京高裁判決では,「学風にあわない」というだけで大学当局の恣意的な処分が許されるといった「不当な結果が生ずる」ことになる,第二に,東京高裁毛利野判決は,「基本的人権軽視の思想のうえにたっている。」,第三に,私立学校でも学校の「公共性」をもつことは当然であり,このことを全く無視している毛利野判決は,「この点でも教育問題に関する無知をはっきりとしめしている。」,第四に,「東京高裁の三人の裁判官たちは,このような思想的背景と教育問題に関する無知のうえにたって事実関係をみるから,本件学生にたいする学校側の思想信条を理由とする差別的扱いや思想の押しつけの事実をあっさりと否定しまうことになる。わたくしは,この判決の事実認定に大きな疑問をもっている。」と論じておられる。

そして,潮見先生は,上掲論考の中で,「現在(「法律家」脱稿当時),(この昭和女子大事件は)最高裁判所に係属中(未確定)である。」とした上で,前掲「第一の仮説」(上級審にいくほど「憲法の価値基準」が悪くなる)が,本件が「またまた検証の資料をくわえることを,日本の裁判所のために心から憂慮している。」と述べられている。

そして,この潮見先生の「憂慮」は,予想通りに的中することになることは,われわれの大学時代,習ったところだ(最高裁昭和49年7月19日第三小法廷判決)。

ところで,潮見先生は,私の先のブログでも紹介したとおり,上記「第一の仮説」の他にも,「はじめのうちはするどい憲法的感覚を身につけていた若い裁判官たちも,五年一〇年とよどんだ裁判所の空気のなかですごすうちに,いつのまにかその感覚がぼけていき,官僚機構のなかに埋没していく危険をもっている。」と指摘されてる。

実は,昭和女子大事件が,潮見先生の当該指摘を「まざまざと実感」させる「象徴的な」事件でもあったことは,潮見先生は,多分知らずに亡くなられた( 1996年10月19日逝去)ものと思われる。
何がいいたいか? 
実は,昭和女子大事件の第1審での主任裁判官(左陪席)こそ
後の最高裁長官(第15代)町田顕長官(2002年11~)その人だったのであった。