北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

再復刻! 巌谷小波著「こがね丸」(下)

        (十一)

 一体狐という獣は,なかなか疑い深い者です。それが猿の口車(くちぐるま)には,すっかりうまく乗せられて,自分の失敗を棚にあげた,でたらめの巧妙話を,残らず信用しましたのも,よくよく悪運つきたのでしょう。
 聴水は黒衣の所を出ますと,
「アア,有難い有難い! 今夜という今夜こそ,はじめて肩身(かたみ)が広くなった。早くこのことを大王様にも申し上げて,一時(いっとき)もはやく安心させてあげよう。」
と,直ぐその足で金眸大王の,山の洞(ほら)へと出かけました。
 この時金眸は,丁度家来や腰元(こしもと)の,獣仲間を大勢あつめて,酒盛(さかもり)をしている所でしたが,聴水を見ると例の機嫌(きげん)で,
「オオ,遅かったな。どこへ行った?」
と聞きます。聴水はすぐ前へ進んで
「大王様! 万歳でございます。あの黄金丸と申す野良犬めを,私の計略で,猿の黒衣が見事しとめました。お喜び遊ばしませ!」
と,今黒衣から聞いた通りを,嘘とは知らず真顔(まがお)になって,すっかり話して聞かせました。金眸は聞くと大喜びで,
「それはなるほど大手柄をやったな。なぜ黒衣を連れて来
ぬ。すぐに祝いの盃(さかずき)をあげて,褒美(ほうび)も十分取らせてやるのに。」
「イヤ,それは改めて明晩に遊ばしませ。そう致せば私が,
明日は十分骨を折って,ご馳走(ちそう)を沢山仕込んで参ります。」
「なるほどそれもよかろう。では万事そちにまかすぞ。」
「かしこまりましてございます。この聴水の致しますことに,何の如才(じょさい)がございましょう。」
と,鼻をひこつかせひこつかせ,その晩はそのまま引取りました。
 さてその翌日,聴水は身支度(みじたく)をして,里の方へと餌(え)を探しに出ましたが,思うように獲物(えもの)もありませんので,とある藪の蔭へ来て,しばらく考えておりますと,むこうから車の音がしてきまそれは大きな車に,米俵(こめだわら)や,塩鮭(しおざけ)なぞを一杯に積んで,牛が挽(ひ)いてくるのですから,聴水は喜んで,
「うまいうまい,いい物がやって来たぞ。」
と,なおも藪蔭(やぶかげ)に身を潜(ひそ)ませて,その車をやり過ごしてから,後の方へヒラリと飛び乗り、俵(たわら)の上に積んだ塩鮭を,少しずつ道端(みちばた)へ投げ落としましたが,車には牛方(うしかた)が付いていますのに,前の方を歩いていますから,少しもそれには気がつきません。ただ牛だけは,自分で車を挽(ひ)いていますから,こうして荷が軽くなってきますのに,不思議に思ってふりむきますと,車の上に狐がいて,しきりに荷をおろしております。おのれ横着者(おうちゃくもの)めがと,モウモウ叱(しか)りましたが,狐は一向平気なもの,かえって牛方が聞きとがめて,
「シッシッ!喧しい。」
と,叱りながら引き立てます。
 その間に聴水は,塩鮭を大方(おおかた)投げ下ろしてから,一番後で自分も飛びおり,その鮭を拾い集めて,山へ運ぼうとしますのに,思いのほか沢山(たくさん)ですから,自分一匹では運びきれません。
「これは少々持てあましたなあ。と言って持ちきれないのを,残して行くのも残念だし,・・・どうしたらいいだろう。」
と,又しばらく考え込んでおりますと,だしぬけにむこうの森から,大急ぎで駆けて来る者があります。見るとそれは黒衣猿でしたが,小脇(こわき)に弓矢を抱えたまま,さも慌(あわ)てている様子ですから,聴水は呼び止めて,
「オイ,黒衣さん,どうしたんだ!」
と,言うので初めて気が付いて,黒衣はこちらを見かえりましたが,まだ口も利(き)けないようです。
「どうしたと言うんだ。馬鹿に面食らっているじゃないか?」
と,言う時はじめて吐息(といき)をついて,
「ナニ今あの森の所で,黄金・・・黄金色の鳥を見つけた
から,一矢で射止めてやろうとしたら,そいつがお前・・・恐ろしい大鷲(おおわし)で,あべこべにさらわれそうになったから,一生懸命に逃げて来たんだ。アア,ほんとに恐かった。」
と,しきりに胸をなでなでおります。
 聴水は笑いながら,
「そりゃアほんとに危なかったなあ。だが黒衣さん!今夜はお前がお客分だから,何も自分で餌をさがす事はないのに・・・それよりお前,ちょうど好い所へ来てくれた、実はさっきから里へ行って,今夜のご馳走を仕入れにいったが,荷が重過ぎて持て余してるんだ。気の毒だが手を貸してくれ。一緒に担(かつ)いで持ってきたいんだ。」
と言うので黒衣もうなづいて,
「なんだ。そんな事ならお易(やす)いご用だ。まてまて。こうして持って行こう。」
と,近所に落ちていた菰(こも)を拾って,それに塩鮭をくるくるとまいて,その上から縄(なわ)でからげ,その縄に弓をさして,二匹が前と後から,それを担いで行くこと
にしました。

        (十二)

 聴水と黒衣とは,塩鮭の菰包(こもづつみ)をかついで,やがて金眸の洞(ほら)へ持って来ますと,金眸も大いに喜び,早速(さっそく)それをさかなにして,例の酒宴(さかもり)をはじめましたが,その時も黒衣には,昨日聴水に聞いた手柄(てがら)によって,いろいろな褒美を取らせ,
「アアこの黒衣や聴水の働きで,金眸の邪魔はなくなる,塩鮭の珍味も来る。こんな愉快な事はない。さあ十分にや
ってくれ?」
と,常に増した上機嫌(じょうきげん)ですから,黒衣も聴水も得意になって,一匹が唄えば,一匹が舞い,イヤも大浮かれに浮かれました。
 そのうちに金眸は,すっかり酔(よ)ってしまいましたので,その場に横になったまま,雷(かみなり)のような高いびきに,正体無く寝てしまいましたから,聴水も洞を出て,自分の穴へと帰りかけましたが,丁度この時雲は晴れて,空には月が冴(さ)えておりますので,聴水はいよいよ好い心地になり,道端の切株(きりかぶ)に腰をおろして,しばらく月を眺めながら
「アア,愉快愉快! 普段から気になっていた,あの黄金丸さえなくなってしまえば,俺の胸もあの月のように,何の雲もないというものだ。こういうときに狸なら,きっと腹鼓(はらづつみ)を叩くのだろうが,俺には生憎(あいにく)そんな芸はなし・・・せめて旅人でも通りかかったら,ちょいとつまんで遊んでやるのに・・・」
などなど独言(ひとりごと)を言っていますと,どこからともなく好い香気(におい)がプーンと鼻に入って来ました。
「待てよ・・・何だか甘い香気(におい)がするぞ。こりゃたしかに鼠の天麩羅だ。・・・ハテ,誰がこんなうまい料理をしてるんだ?」
と,のびあがって香気のする方へ,草を分けながら歩み寄りますと,やがて小笹の茂った中に,さもうまそうな雌鼠が一匹,ちゃんと天麩羅にしておいてあります。
 これを見ると聴水は,もうあたりを検(あらた)めもせず,すぐ飛びかかって食べようとしますと,たちまちパチンという音がして,口に鼠を咬えたまま,首は竹に締められてしまいました。
「南無(なむ)三!さては罠(わな)であったか・・・」
と,気が付いた時はもう間に合いません。いくらもがいてもあせっても,次第に咽喉(のど)が締まるばかり,その苦痛は一通ではありません。
 ところへ小笹をガサガサと分け,左右から出て来た者があります。さてはいよいよ猟夫(かりゅうど)かと,思う
とそれは人間ではなく,いかにもたくましい二匹の犬でしたが,その一匹の茶色の方が,まずそばへ来て声をかけ
「どうだ聴水!おれを知ってるか。」
と言うのでよく見ましたら,こはいかにその犬は,昨日黒衣に殺されたはずの,あの黄金丸に相違ありませんから,再び大きに驚きましたが,声を立てることも出来ず,ただ眼を白黒させるばかりです。
 黄金丸は言葉をついで,
「どうだ苦しいか。そうだろう。だが耳は開いてるだろう
から,俺の言うことをようく聞け!貴様はよく俺のお父さ
んを,金眸虎めに咬(く)わせたな。その上俺も貴様のため,罪もないのに百姓家で,酷(ひど)い目にあわされたから,二重に恨みのある仇だ。しかし,今夜という今夜こそ,その天罰はてきめんに,罠にかかってこのざまは,自業自得(じどうじとく)と観念(かんねん)しろ!」
と,言いながら取って抑えて,咽喉(のど)を一口に咬み殺そうとしますと,思いがけない後から
「これ黄金丸,しばらく待った!」
と,言いながら,出て来る者があります。誰かと思ってふりむきましたら,それは黄金丸の養父の,あの雄牛の文角でしたから,
「オオあなたは伯父さん!」
と,さすがの黄金丸も,呆(あき)れて一歩さがりました。

          (十三)

 こんな所へ文角が来ようとは,夢にも思わなかったことですから,黄金丸は不思議そうに,
「・・・それにしても文角の伯父さん,どうしてここへ?」
と,言いますと,文角はうなづいて,
「これには理由のあることだが,・・・しかし,そこの犬さんは?」
と,そばにいる白犬を指しますので,
「オオ,これは鷲郎と言って,今では私の兄弟分です。」
と,初めて会った時からの話を一通り話してから,又鷲郎にも文角を紹介(しょうかい)させますと,文角も頼もしそうに,初対面の挨拶(あいさつ)をしてから,
「いかにも私が今夜来たのは,お前方には解るまいが,私も又こんな所で,お前方に落ち合はしたは,ほんとに思い
ももうけなかった。実は今日は旦那の御用で,市場から米と塩鮭を,車に積んで運んで来たのだ。ところが,かの藪の所へ来ると,野狐めが一匹出てきて,車の上にそっと乗り込み、積んで来た塩鮭を,取っては投げ,取っては投げ,大方(おおかた)卸(おろ)してしまうじゃないか。憎い野狐めとよく見れば,そいつはかねてから,見覚えのある聴水さ。さてはまだ黄金丸にも,うまく見つからずにいると見えるな。さてさて悪運強い奴め。この上はおれの角にかけて,鼻面を折ってくれようかと思ったが,何しろ大きな車をつけていては,どうする事もできないので,そのまま我慢(がまん)はしたものの,せっかく正体を見つけながら,見逃がしてしまうも残念でならず,せめてはやつを生捕(いけどり)にして,黄金丸への土産(みやげ)にしようと,こう私も考えたので,仕事をすまして小屋へ帰ってから,改
めて又脱(ぬ)け出して,そこかここかと尋(たず)ねるうちに,ふとここに来合わせて,こうして尋ねる聴水ばかりか,お前方にも会ったというのも,全く不思議なめぐり合わせだ。」
と,自分ながらも感心して言いますと
「それではご主人の塩鮭まで盗んで,文角さんにもご迷惑かけたんですか。返す返すも憎い奴。どうするか覚えていろ!」
と,又飛びかかろうとしますのを,文角は再び止めて,
「イヤ,まてまて!こうして罠に落ちたからは,俎上(まないたのうえ)の肉も同然,焼くも煮るも勝手だから,そう急ぐ事は無い。それよりもこの聴水は,金眸の大の気に入りだ。こいつを十分調べたら,仇の様子も知れるだろう。まあ私に委かせなさい!」
と,言いながら進みよって,聴水の頸髪(えりがみ)引っ掴み,
「どうだ聴水!貴様は一体稲荷様の,お使いとも言われる
身でありながら,物好きに野狐となって,虎の髭の塵(ちり)をはらい,その威光(いこう)を笠に着て,他の獣仲間を苦しめるとは,何と言う心得違いな奴だ。しかし今
はその罰(ばち)で,こういう罠に落ちたからは,かなはぬ所と覚悟して,せめては今までの罪亡(つみほろぼ)しに,俺達の聞く事を神妙(しんみょう)に答えろ!どうだ?」
と,言いますと,聴水はホと吐息(といき)を吐(つ)きながら,眼から涙をハラハラ流し,
「アア,私が悪かった。全く心得違いでした。この上は心を入れかえ,あなた方のお言葉通り,どんな事でも致しましょうから,どうぞ少しこの罠を,おゆるめなすって下さい。」
と,泣きながら頼みました。

          (十四)

 文角はうなづいて,少し罠はゆるめましたが,なお決しては油断はせず,
「さぁ,これで口も利(き)けよう。」
と言いますと,聴水は今更(いまさら)のように,黄金丸の顔を見ながら
「それにしても黄金丸さんは,どうして無事にいらっしゃるんです?それがまづ伺いとうございます。」
と,いかにも不思議そうに聞きます。
 黄金丸は笑いながら,
「なるほどこの間貴様に出会った時,あまり急いでつかまえようとしたので,かえって人の家に飛び込み,とんだ粗相(そそう)を仕出かしてひどい目にあわされ,すでに皮まで剥がれようとしたのを,ようやく鷲郎に助けられて,あぶない命は拾ったが,その時ひどく挫(くじ)いた足も,朱目の翁の薬のおかげで,見事もとの通りに治ったぞ。」
と,足踏みまでして見せますと,聴水は皆まで聞かず,
「いえいえ,あの時足を怪我したことも,また朱目の爺さんの所へ,療治をしてもらいに行きなすった事も,私はちゃんと知っていました。けれどもただ不審なのは,その朱目からの帰り道,森の陰で山猿の,黒衣に一矢で射られたはずが,どうして無事に居なさるのです?」
「オオ,その事ならこっちでも,不審に思っていたところだ。いかにも見知らん黒猿めが,一度ならず二度までも,おれを狙って射ようとしたが,二度ともおれに睨(にら)み返されて,ほうほうの体で逃げて行った。それでは貴様がきゃつを頼んで,おれを討たせようとしたのだな。」
「全くその通りでございました。けれども気にはかかりましたから,念のために聞きますと,イヤその犬はただの一矢で,見事仕とめてやったけれど,あいにく犬殺師が来合わせたので,死骸だけは取られてしまったと,さも本当らしく申しますので,うっかりそれを真に受けてしまい,いよいよ邪魔な黄金丸は,もうこの世には無いものと,大きに安心しておりましたのに・・・さてはあの山猿に,ムザムザ一杯食わされましたか。・・・イヤそれで思い当りました。今日私が里へ出て,餌を取って帰ろうとしますと,その黒衣めが森の方から,慌てて逃げて参りましたが,丁度それではあの時が,二度目の失策をやった時でしょう。私には嘘は言いましたが,もし又後に何かの拍子で,あなたの姿が見えでもしたら,申し訳が無いと思ったので,もう一度も狙いに出たものとみえます。」
「二度が三度でも狙ってみろ! あんな卑怯な山猿なぞに,
不覚を取る黄金丸では無いわ。」
「それに引きかえ私は,聴水とも言われる古狐の身で,黒衣のような山猿に,馬鹿にされたと思いますと,いまいましくてたまりません。」
と,たださえつり上がっている眼を,なお逆立てて歯ぎしりしましたが,又思い直しまして,
「イヤ,今さら愚痴(ぐち)をこぼしても,何の役にも立ちません。これも皆お稲荷(いなり)様のお罰(ばち)です。ついては文角さんのお言葉通り,この上は罪亡しに,金眸の洞の様子を申し上げて,仇討のお手引をいたしましょう。」
「おおよく言うた。それでは詳しく話して聞かせろ!」
「一体あの金眸の洞は,麓(ふもと)から二里もある,深い山奥でございますが,裏の近道から行きますれば,たった十町しかございません。また大王の配下(てした)には,熊や猪や狼の,強い獣類も大勢おりますが,これらはそれぞれ持場を守って,普段は近所におりません。ことに今夜はかねてから,仇と狙われていた黄金丸さんが,黒衣に討たれて死んだというのを,全く真に受けての祝酒に,すっかり食べ酔っておりますから,丁度討ち入るには持って来いです。それにちょうど月は好し,・・・あそこに見える杉の森から,小川を渡って山路(やまみち)を,東へ東へと分けてゆけば,ひと筋道で洞へ出ますが,その洞の手前には,大きな榎(えのき)がありますから,それを目印にお進みなさい。さっき私の出て参りました時は,金眸は高いびきで寝ていましたが,覚めない間に一時もはやく,お乗り込みなさるがようございます。」
と,親切に教えますので,黄金丸も大きに喜び、
「オオよく言うてくれた。それではこれから直ぐに行って,金眸めを討って取り、ついでに黒衣も退治して,貴様の恨みも晴らしてやろう。」
「それはありがとうございます・・・もうこの上は私は,何を思い置くことはございません。尋常に御成敗下さいまし!」
「よい覚悟だ。重なる恨みに憎い聴水,八裂(やつざき)にでもしてくれようと思ったが,今の健気(けなげ)な言葉に免じて,楽に息の根止めてやるわ!」
と,言いながら黄金丸は,ただ一咬みに聴水の,喉(のど)を咬み切ってしまいました。

        (十五)

 聴水狐を退治して,仇の半分を討取った黄金丸は,勇気さらに十倍して,それからは鷲郎と連れ立って,金眸の洞へと向いますと,文角もその後から,まさかの時の助太刀にと,一緒に山路を急ぎました。
 こういう山の中へ来ますと,もとより里に計りいた,黄金丸や文角には,勝手が違って歩きにくいのですが,そこへゆくと鷲郎は,根が猟犬育ちですから,足場に慣れておりますので,自分が案内の役に立って,聴水に教った道を,次第に山深く進んでゆきました。
 そのうちある峠へ来ましたが,この辺は一面の萱(かや)で,樹(き)と言っては所々に,松が生えているばかりですから,折からの月明かりに,よく方面が解りました。
 すると丁度むこうから,大きな黒い山猿が一匹,何か鼻歌をうたいながら,フラリフラリとやって来ましたが,こちらの三匹の姿を見ると,驚いて道を避け,松の木の上へ登ろうとするのに,またしても足をすべらして,思うように登れないでいます。鷲郎は黄金丸を見るより,
「あれが黒衣と言う奴じゃないか」
と,耳うちしますと,黄金丸はうなづいて,
「全くあいつに相違無い。だがあの通り木にも登れず,マゴマゴしている所を見ると,金眸の所のご馳走酒に,すっかり酔っていると見えるな。よし,俺が行ってつかまえてやる。」
と,走りよって大声に,
「こりゃ,黒衣,そこ動くな!」
と,鋭く吠えつきますと,猿はそのまま大地にへたばり,熟柿(じゅくし)臭い息を吹きながら,
「これはこれは,どこの犬殿か存じませんが,ようこそお出でなされました。・・・ただ今お呼びなされました,その黒衣と申す奴は,私の友達でございます。そこまで一緒に参りましたが,つい途中ではぐれました。御用なら探して参りましょうか。」
と,立ちかけるのを取っておさえ,
「とぼけるな黒衣猿め。俺は昨日も一昨日も,木賊(とくさ)ヶ原の森の陰で,貴様に狙われた黄金丸だぞ。」
「ヘッ,黄金様か白金様か,そんな事はいっこう存じません。もっともこの山の奥へ参りますと,赤銅(あかがね)の出る所はございますが・・・」
「黙れ!言わして置けばつけあがって,勝手な管(くだ)を捲(ま)きおるな。イデこの息の根を止めてやろう。」
と,言いながら咬もうとすると,猿は慌てて木の根に取りつき,
「これ何をなさるんです。もったいなくも私は,山王様の眷族(けんぞく)でございますよ。滅多(めった)な事をなさいますと,神さまの御罰が当たりますぞ。」
と,まだ世迷言(よまよいごと)を言っていますから,鷲郎はいらだって,
「おのれ人間に近いと思って,どこまで俺達を馬鹿にするのだ。この横着(おうちゃく)の山猿め,山王様のお罰なら,こっちからこう当ててやるのだ。」
と,言ううちにもう飛びついて,たちまちち首を咬い切ってしまいました。

          (十六)

 まづ討入の血祭(ちまつり)に,黒衣猿の首を揚げて,喜び勇んだ三匹は,なお奥深く分け入ると,やがて大きな榎があって,その下にはそれかとわかる,洞の入口が見えました。
 いよいよ仇の棲所(すみか)だぞと,思うと胸は躍(おど)るばかりですが,敵に悟られてはなるまいと,息を殺して忍び寄り,洞の中を覗(のぞ)きますと,中は真闇で解りませんが,ただ奥の方から,地鳴りのような物の聞こえたのは,紛れもない高いびきで,まだ金眸は寝ていると見え
ます。
 この時文角は,二匹の犬に向いまして,
「日頃の望(のぞみ)を果たす時が来たぞ。二匹ともぬかるまい。私はここに待っているから,心置無(こころおきな)く踏み込んでゆけ。しかし敵は名代(なだい)の猛獣,酔っていても油断はならんぞ」
と気を励まして言いますので,二匹は互いに牙を反(そ)らして,やがて奥へと踏み込みましたが,見ると大王の金眸は,岩の角を枕にして,まだ正体も無く寝ております。
 黄金丸は進みよって,いきなりその横腹を蹴(け)りますと,金眸は驚いて跳ね起きようとしました。ところを鷲郎は頸髪(えりがみ)咬わえて,後へグッと引き据えました。
黄金丸は大声に,
「コリャ金眸,よく聞け!俺は貴様の毒牙(きば)にかかった,月丸の子の黄金丸だぞ。親の仇討ちに来た。尋常に勝負しろ!」
と,勇ましく名乗りかけますと,金眸は目を丸くして,
「ナニ黄金丸だと? 貴様は昨日黒衣にやられて,もう此
世にはいないはずだが・・・さては一念ここに残って,幽霊になって出てきたんだな。」
と,言うのにこちらは冷笑(あざわら)い,
「ハハハ,馬鹿な奴が。貴様もやはり黒衣猿に,まんまと鼻毛(はなげ)を読まれたんだな。たかのしれたあんな山猿に,むざむざ討たれる黄金丸か。幽霊でない証拠には,これこの通り四本とも,脚はちゃんと揃(そろ)っている。それよりその黒衣こそ,今じゃあ首になってこのとおりだ。」
と,金眸の前へ投げつけ,
「その上貴様の気に入りの,仇の片割れ聴水めも,とうに
退治してしまったのだ。もうこうなっては運の尽き,覚悟を決めて往生(おうじょう)しろ!」
と,言うので初めて金眸は,目も酒も一緒に醒(さ)め,
「さては一杯食わされたか。それにしても小癪(こしゃく)な野良犬。大王様の本事(てなみ)を見せて,貴様も一緒に親父の所へ,送ってやるからそう思え!」
と,鷲郎を払いのけ,黄金丸に掴みかかると,こちらも進んで肩を咬みます。金眸はまた黄金丸の,太股にグッと咬みつく。ところをまた鷲郎は,金眸の横面へかぶり付きます。それに少し怯(ひる)んで見えると,その隙にまた黄金丸は,敵の背中に踊り上がって,耳を咬(くわ)えては振り立てます。
 しはらくは二匹と一匹が,巴(ともえ)のようにもつれ合って,激しく闘(たたか)っておりましたが,こちらは仇を取ろうという一心,先方は不意を襲われた弱みで,はては金眸もあしらいかね,洞の口から逃げようとしますと,そこには文角が立ちはだかって,角をとがらして待っていあますので,
「さてはまだ加勢がいるのか」
と金眸も今は死物狂(しにものぐるい),雷(かみなり)のように吠え立てながら,なおも咬み合い、掴(つか)み合ううちに,やがて黄金丸の鋭い牙(きば)が,うまく金眸の喉元に立って,顎(あご)も通れと咬みつきましたから,流石(さすが)の大虎もたまりかねて,そのままウーンと倒れましたが,これに気がゆるんだものか,黄金丸も鷲郎も,その場にへたばってしまいました。
 ところへ文角は入って来て,まづ金眸の傷を見ますと,見事急所を咬み切られて,息は絶えておりますから,
「天晴れ天晴れ! 立派に仇は討てたぞ。」
と,褒(ほ)め立てながら二匹の犬をいろいろにいたわりましたので,ようやく元気づきまして,改めて金眸の首を咬み切り,それを高く捧(ささ)げまして,思わず万歳を唱えました。
 さて黄金丸は,鷲郎の助太刀(すけだち)と,文角の後盾(うしろだて)とで,首尾(しゅび)好く親の仇を討ちまして,再び主人の家に帰りますと,主人の庄屋も大いに喜び、
「ただ親の仇と言うのでは,私事(わたくしごと)に過ぎないが,もとより金眸も聴水も,永い間,暴威を振って,ちまたの獣類を苦しめたのだから,それを退治してしまったのは,獣類仲間の大幸福(おおしあわせ),この上もない大手柄だ。」
と,二匹の犬を褒(ほ)めたたえ,その褒美(ほうび)の印として,黄金丸には金の首輪,鷲郎には銀の首輪をやって,一生可愛がって飼うことにしました。めでたしめでたし。(華)