北口雅章法律事務所

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「死刑」 以外の選択肢があっていいのか?

NHKニュースウェブが,
まるで,昔読んだシェークスピアの物語本とその挿絵のごとく,
植松聖(さとし)被告人の裁判員裁判における,
被告人質問の場景・尋問内容を,報道・描写している。

日弁連・各弁護士会の死刑廃止論者らは,
このような「人間の尊厳」を冒瀆する「確信犯」についても,
「死刑不相当」を唱えるのであろうか。

本件は,周知のとおり,平成28年7月,障害者施設「津久井やまゆり園」(神奈川県相模原市)において,元職員の植松被告人が,施設利用者ら合計45名(いずれも重度障害者)を殺傷した事件(うち19名が死亡)。植松被告人は,ナチス・ドイツを想起させる意思疎通のとれない重度障害者は安楽死させるべきだ。」などという独善的な優生思想を語る確信犯。弁護側は,責任無能力による無罪を主張しているが,植松被告人は「(自分には)責任能力はあると考えている。弁護側の弁護方針は間違っている。」と否定している。

このような確信犯に対しては何を聞いても,無意味な気がするが,
現行法上は,弁護人・検察官・裁判官はもとより,
被害者や,その遺族からも被告人に対して質問できることになっている。

 

私が「ハイライト」だと思う尋問部分は,次のとおり。


(弁護人)「われわれは,心神喪失(心身耗弱)を理由に、無罪(減軽)を主張しているが,どう思うか。」
(被告人)「自分は責任能力について争うのは間違っていると思う。自分自身は責任能力があると考えているが,責任能力が『なければ』即死刑にするべきだと思う。」

(自分には責任能力があるから,「即死刑に」するべきではない,とでもいいたいか?
 責任無能力=「意思疎通不能の重度障害者」=「(安楽)死」=「死刑」という論法か?)

 

(検察官)女性職員が泣き叫びながらあたなを止めたようだが,覚えているか。」
(被告人)(女性職員から)泣いていて『心があるんだよ』と言われました。」
(検察官)「どう思いましたか。」
(被告人)その程度では人の心とはいえないと思いました。」

(検察官)「(犠牲者は)会話が出来たのではないか。」
(被告人)「そのレベルは人間の意思疎通とは思っていません」

 


(遺族A)「(あなたにとって)大切な人は誰ですか。」
(被告人)「大切な人…」
(遺族A)「私は家族とか友達、仲間、身近な人が大切なのですが」
(被告人)「…大切な人はいい人です」
(遺族A)「ほかには?」
(被告人)「ありません」

(遺族A) 「最後に植松聖さん、姉を殺してどう責任を取ってくれるんですか」
(被告人) 「長年育ててこられたお母さんのことを思うといたたまれなく思います,それでも重度障害者を育てるのは間違っていると思います。」

 

(被害者の父B)「あなたは今,幸せですか。」
(被告人)「幸せではありません。」
(被害者の父B)「なぜですか。」
(被告人)面倒だからです。…今のは失礼だな。不自由だからです。」

 

(裁判長)「要求を理解し、笑う。それが意思疎通できたということではないのですか」
(被告人)「それは人としての意思疎通がとれたとは思っていません」

 


(遺族Cの代理人弁護士)ロボットと人間の違いはどこにありますか
(被告人)「人もロボットも大して変わらないと思います。人間は高度なロボットだと思います」
(遺族Cの代理人弁護士)感情はロボットにあるんですか
(被告人)システムを作れば

 

 

ここで,大学の教養部時代,
村上陽一郎教授(科学史)からの問いかけを思い起こした。
「もし君の交際相手の彼女が,人間と全く同じ表情・感情を伴う行動・発言をし,肉体的にも,全く人間と同様だったとしよう。ところが,ある日,彼女が転んで,怪我をしたとき,腕の皮膚が一部剥がれて中の機械が見えてしまい,精密なサイボーグだとわかったら,君はどう考えるか。」と。

「プシュケー(Psyche)」(古代ギリシア Ψυχή )の問題,
つまり「こころ」の問題を考えさせる問いであったかと記憶している。