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円空仏(ENKU)入門2「善財童子の顔」

妙喜堂(下呂市小坂町)の円空仏「善財童子」は,何故,顔が極端に上を向いているのか。

 

[考察]

 妙喜堂(岐阜県下呂市小坂町)の善財童子に限らず,「善財童子」は,円空独特の様式として,善女龍王とセットになって観音菩薩(主尊)の脇侍となり,観音菩薩三尊像を構成する。そして,通常,「善財童子」は,地蔵菩薩と同様,合掌して正面を向き,「善女龍王」の頭上には,龍が彫られる。その典型例が,例えば,光厳寺(富山県富山市五番町)の観音菩薩三尊像だ。

【光厳寺・観音三尊像】左から善女龍王・観音菩薩・善財童子

 ところが,妙喜堂の観音菩薩三尊像の脇侍は,いずれも異様だ。「善財童子」の方は,極端に上を向き,「善女龍王」は,顔が龍として彫られている。

【妙喜堂・観音三尊像】左から善財童子・観音菩薩・善女龍王

※なお,上掲写真の対象は,名札の位置が誤っている(善女龍王と善財童子が逆)。

<出典:小坂町商工会WEB:巌立太郎氏>

 そこで,この点について,小島梯次先生(円空学会理事長)も,次のような疑問を投げかけておられる。
曰く「(妙喜堂・観音菩薩三尊像では)善財童子は,どういう訳か思いきり上を向いている善女龍王は,顔面に龍のみが彫られており,通常ある人面がない。各々の像背面に,円空自身が『善財童子』『善女龍王』と墨書しているので,善財童子,善女竜王を意識して彫ったことは疑いない。ところが,円空が数多く彫っている善財童子に,これほど極端に上を向かせた像はなく,人面が彫られていない善女竜王というのも例がない。いかなる意図のもとに,円空はこのような形態の像にしたのであろうか。と(『円空仏入門』101頁)。

 円空マニアの中には,「そうでしょうか。他の『善財童子』にも,上を向いている像はありますよ。」と考える向きもあるかもしれない。
 なるほど,さいたま市島町にある薬王寺「善財童子」も結構上を向いている。しかしながら,小島先生も「これほど極端に上を向かせた像はなく」云々と述べられているように,妙喜堂の「善財童子」の方が,まるでミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井画を描いていたときに首が上向きに固定化したごとく,極端に首が上を向いているではないか。また,仮に薬王寺の「善財童子」と較べれば,首の角度は程度問題だとしても,善女竜王の異形については,どのように理解したらよいか? これまで上記疑問について,首肯するに足りる説示をした論者はいないようだ。

 

 前記「難問」に挑むには,次の前提を確認しておく必要があろう。

1.第1に,通常の観音菩薩三尊像(例えば,前掲・光厳寺のそれ)の脇侍と対比すれば明らかなとおり,妙喜堂の脇侍は,善財童子・善女龍王ともに,やばり「異形」であるという評価は否定しがたいというべきであろう。

2.第2に,「善財童子」とは,いかなる存在か。「善財童子」は,周知のとおり「華厳経」に登場する,童子の姿をした菩薩である。華厳宗においては,理想的な求道者として高く評価されているが,円空が修した台密においては文殊菩薩の一眷属にすぎない。

3.第3に,「善女龍王」は,いかなる存在か。「善女龍王」は,弘法大師・空海が,京都の神泉苑で雨乞いの祈祷をしていたときに感応して現れたという竜神である。ユング的にいえば,アニマ的存在(女性の元型)である。

4.第4に,円空は,尼僧をモデルとして「善女龍王」を造顕し,円空自身をモデルとしたとみられる「善財童子」を刻すなど,ユーモラスな仏像が複数存在する,ということである。例えば,岐阜県山県市の梅谷寺から,同県関市の永昌寺に遷移されたという青面金剛神がその例であり,同じモチーフの青面金剛神像が他にもあるとのことである(前掲・小島107頁)。この像では,青面金剛神の足元に刻された尼像が両手で耳を塞いでおり,その隣に刻された地蔵菩薩の僧形は,円空自身の自刻像だといわれている(前掲小島「円空仏入門」107頁)。

 

 以上の予備知識を前提に,小島先生の「円空仏入門」を再読すると,前掲・引用文に続けて,「此処(妙喜堂)には,この三尊造像の由緒と共に,全国で唯一円空の恋に関する伝承が遺されている。」(同101頁)と書かれている。

この一文の読んだ途端,私には,直観的に閃くものがあった。

 妙喜堂の善財童子は,勿論,円空ご本人を象徴しているものと思われるが,アノような像容となり,「善女龍王」のモデルとなるべき尼僧がアノような龍の像容となったのは,多分,「・・・・」の象徴であろう,と。私の解答は,「このブログでは書けない」というのが解答であり,賢明なるブログ読者には,自ずとその趣旨をお解りかと思う。
 私の直観的理解が正しいという自信は勿論ないが,私の「直観」に相応の理由がある根拠として,次の傍証を挙げることができる。

第1に,華厳経によれば,「善財童子」は,菩薩行の過程で,26番目に「婆須密多女」(高級コールガール?)と関係をもっていた,とのことである(谷口順三「講演・善財童子へのアプローチ」円空学会編『円空研究=4』所収参照)。

第2に,円空は,古今集の和歌を嗜み,古今集の和歌をもじった和歌を多数詠んでいること。そして,円空が詠んだ和歌の中に,次のようなものがある。

 「尊形(かり)うつす花かとぞ念う歓喜の
  法の泉も湧きていづらん

 ちなみに,百人一首の藤原兼輔の歌に
 「かの原 湧きて流るるいつみ川 
  いつみきとてかこひしかるらむ
 という名歌がある。