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円空(ENKU)と善女龍王

円空が造顕した善女龍王殆どは菩薩の頭上に「龍の頭」が載せられている。
小島梯次先生によると,円空が頭上に龍を彫っている仏像は,全国に43体残されているという(「円空の善女龍王」『円空学会だより・131号』)。

(注)左側が下呂市小坂町無数原・観音堂所蔵,右側が,同市下呂町湯之島・温泉寺所蔵(ひだ萩原町「南飛騨の円空佛」より)

円空の善女龍王には,名作が多いが,私は,円空がおそらく晩年・元禄時代(60歳前後),南飛騨を巡錫した際に彫ったと考えられる善女龍王(上掲)に惹かれる。

 

円空が頭上に龍を彫った像のうちの5体の背面に善女龍王と墨書されているとのことであるから(上掲・小島論文),頭上に龍が彫ってあれば「善女龍王」だとわかるが,本来は龍王の表記の方が正しかったのではないか。現に,古来日本では,「善如龍王」と表記され,真言宗の開祖・弘法大師が,雨乞いの修法を行ったところ,その験(しるし)として,「善如龍王」が現れたという話が,今昔物語に出てくる。また,円空自身,背銘に「善如龍王」と記載された像を東観音寺(愛知県豊橋市小松原町)に残している(但し,この尊像には,頭上に龍が彫られていないが。)。

 

東観音寺の善如龍王

 

参考までに,弘法大師と「善如龍王」が登場する今昔物語・巻第一四・第四十一話を現代語訳すると,次のとおり。

「弘法大師『請雨経修法』して雨を降らせる物語」

「今は昔,淳和天皇の御代,日本国中が日照り続きで,干ばつ被害が深刻化していた。そこで,天皇が弘法大師を召して,『なんとかしてくれ』と頼んだところ,弘法大師が,平安京の皇居(現・京都市中央区門前町)にある園池『神泉苑(しんせんえん)』にて『請雨経修法』という祈祷を始めた。そして,7日目になると,壇上に約1m50㎝(五尺)の蛇が現れ,その蛇の頭上に約15㎝(五寸)の金色の蛇を載せて現れ,その後,園池に入って消えた。そこで,お供の高僧が弘法大師に『今の蛇は何の前兆ですか。』と尋ねたところ,大師は,『天竺(古代インド)にある「阿耨達智池(あのくだつちいけ)」に住んでいる善如龍王が来られたのです。修法成就の験(しるし)です。』と答えた。
 そしてまもなく,戌亥(北西)方向から黒雲がわいてきて,国中に雨が降り,干ばつが解消されたと語り伝えたるとよ。」

ところで,園城寺(三井寺)には,天台宗密教の総本山であるにもかかわらず,何故か円空作の善女龍王が7体も残されている。善女龍王は,真言宗の修法を宣伝する効果を伴う仏像であるから,天台宗への「当てつけ」ではないかと誤解されそうなものだが,そのような天台宗の宗旨・世間体に配慮しないところに,円空の天真爛漫な人柄を感じさせる。

園城寺の円空作・善女龍王像

 

円空の面白いところは,「善女龍王」のすべての頭上に龍が乗っているわけではなく,龍に変代えて,人面蛇身の「宇賀神」を載せた像容の菩薩像にも,「善女龍王」と墨書している例がある。これが下呂市荻原町宮田にある藤ヶ森観音堂の像である。また,造顕時期・場所も近接し,同じ像容の大覚寺(荻原町上村)の像も,「善女龍王」として造顕されてものと考えられている。江戸時代,この地域の農民も干ばつに苦しむことがあった,ということか。

(注)左側が藤ヶ森観音堂の像で,右側が大覚寺の像(ひだ萩原町「南飛騨の円空佛」より)