北口雅章法律事務所

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「すらすら読める正法眼蔵」はスラスラ読めたか?

 

道元(1200-53)の「超難解」とされる主著「正法眼蔵」(注:正当な仏法を見る智慧の眼,の意)をスラスラ読めるわけがない,・・・と思いつつも,本屋で,そのようなタイトルの本をみつけ,仏教学者の「ひろさちや」先生が解説と現代語訳(勿論,抄訳)をつけてみえるようなので,つい買ってしまった。

なかなか読む時間がなかったが,本日,一挙に読破した。
「ひろさちや」先生が,分かり易い現代語訳をつけてくださっているので,言葉の意味は確かにわかる。が,そのロジックを納得・得心するには,やはり実践(座禅)を伴わないと難しいのではないか。

道元の座禅の本質が最もよく示されているのは,「生死(しょうじ)」の巻で説示されている,「仏(ぶつ)となる」方法であろう。

曰く「わが身とわが心をすっかり忘れ去ってしまい,すべてを仏の家に投げ入れて,仏の方から働きかけがあって,それに随っていくようにしたとき,力も入れないで,心労もしないで,生死を離れて仏となる」(原文:ただわが身をも心をもはなちわすれて,仏のいへになげいれて,仏のかたよりおこなはれて,これにしたがひもてゆくとき,ちからをもいれず,こころをもつひやさずして,生死をはなれ,仏となる。)

仏となるための易しい道がある。もろもろの悪事をなさず,執着せず,いっさいの衆生のためにあわれみ深くし,上を敬い,下をあわれみ,すべてのことに対して嫌悪の心を持たず,願いの心を持たず,心にあれこれ思わず,憂うこともない,それを仏と名づける。そして,これ以外の仏を求めてはならない。

道元開祖の曹洞宗は,臨済宗と異なり,「公案」(禅の師匠が,弟子が理解度をテストするために使う試験問題)を殆ど用いないとのことであるが,道元が,『正法眼蔵』 のなかで,「祖師西来意」と題する「公案」を評釈・解説した巻があり,興味深い。

この「公案」は,要旨次の問題である。

ある人が,断崖に生えた樹木に上り,口で樹の枝をくわえ,手足を樹・枝から離して宙ぶらりんの状態でいる。突如,樹木の下に人がやって来て問うた。『祖師(達磨大師)が,インドから伝えた仏法の根本教義(「西来意」)とは何か』と。そのとき,口を開けて答えれば,転落死するだろう。もし答えないならば,彼の問いにそむく。さあ,言ってみよ,どうすればよいのか?,を!!」

なかなか難解であるが,読者は「道元の解説」の(ひろさちやの)「解説」を読んで,理解できるであろか。挑戦されたし。