北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

パラオ近海での,伯父貴 “無念の” 戦死記

昨年11月18日,戦艦大和誕生の地「呉(くれ)」に出張してきたときに書いたブログ
(https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=1049)で,特殊潜航艇(俗にいう“人間魚雷”)の要員として出撃中,無念の戦死を遂げた伯父貴のことに触れた。先日,正月休みで実家に戻った際,亡父の遺品の中から,伯父貴の戦死を伝える戦友からの手紙が出てきたので,読者諸兄に紹介しておきたい。

 ウソ・偽り・歪曲の多い日本社会において,私自身,検察官が起案した「被疑者・供述調書」という名の「作文」(…「刑事裁判官が」いとも簡単・安易に騙される「検察官面前調書」のこと…)については,これを膨大な通数読んだ経験があり,かつ,いくたびも(その内容を真に受けた刑事裁判官らの判決によって)泣かされた経験もあるが,以下に引用する文面の内容は,その具体性・迫真性と,前後に省略した内容等に照らし,さすがに真実を遺族に正確に伝えてくださったものと信じたい。

 

(前略)
「不肖私は戦時中,北口末吉上等兵曹と一緒に特殊潜航艇隊に昭和拾七年六月一日選ばれて編入され,(私はそれまで土浦海軍航空隊で予科練の教員をしていました。)当時部内外に極秘兵器部隊の為,呉海軍工廠魚雷実験部気付 井元事務所内誰々と表面上は此のような名称でしたが、実は特殊潜航艇隊でした。
 編入された時は,丁度豪州シドニー及びアフリカのデイエゴスワレス攻撃隊が出撃した後で北口兵曹は海軍航海学校高等科出身の優秀な若手の明るい張り切りボーイ努力家で,皆に引っ張りだこ,航海兵器特に羅針儀整備には昼夜の区別無く励んでおられました。アリューシャンのキスカ島作戦より帰還して間もなく,各戦線急の昭和十八年十一月末頃ガダルカナル島撤収作戦に伴い,ニューブリテン諸島ラバウル防衛作戦に五隻の特殊潜航艇に出動用意が下令され,その中の一隻選ばれ,編成は艇長のA中尉(当時),B上等兵曹,Y上等兵曹,北口末吉一等兵曹,C機関兵長の五名意気のあったペアー。A中尉艇長は海軍兵学校七十期,B上曹は海軍水雷学校高等科,私(Y)は海軍通信学校高等科,C機長は海軍機関学校普通科それぞれ出身の自分で言うのも面はゆいが,精鋭揃いでした。
 特殊潜航艇(丙型)の御説明いたします。ハワイ,シドニー,マダガスカルに参戦したのは(乙型)で搭乗は二名乗組。(丙型)は搭乗員三名,排水量五十トン,全長二十四・九米,最大巾一・八八米,速力十九ノット,魚雷四十五センチ二本,電動機六〇〇HP,発電機四十五馬力二十五KW,連続行動日数約三日,潜望鏡一潜航深度百米で大きい様でボートの姉さんみたいな豆潜水艦。
 乗り込む潜航艇の進水を待って,ぎ装整備を完了。明けて十九年一月九日僚艇佐藤艇隊と共に呉軍港を出撃,佐伯港にて特殊潜航艇は長距離の航海は出来ず,潜航艇母艦又は大型潜水艦に搭載し,目的地近くで卸し自力で作成行動にうつる予定なれど,母艦も大型潜水艦も戦線拡大に伴って,我々の方に回す余裕無き為,二,三千トン級の小型輸送船に曳船を止むえず頼らなければなり。曳航中は輸送船に便乗,輸送船上にては交代にて対空対潜見張任務につきつつ航海,豊後水道を出たところで我が六隻の船団は敵潜水艦の雷撃を受け,陸軍輸送船一隻沈没,我が輸送船(やまつる丸)にも魚雷二本狙われましたが,発見早くうまくかわすことが出来無事。敵潜水艦は護衛艦,航空機により撃沈。五隻になった船団は一先ず佐伯港に引き返す。翌一月十日未明出港,豊後水道を難無く通過,ホッとする四日目の一月一四日の午後八時見張当直終のB上曹,小生と交代に北口一曹とC機長の二人は防寒外套に身を固めブリッジへ,B上曹が「寒いからバス(風呂)に入ってくる」と左舷中甲板中程ある浴槽へ,北口一曹はブリッジ左舷で見張,C機長は右舷見張にと十数分過ぎた時,「ドカーン」と輸送船左舷に魚雷一発からったか船はショックで何か船倉で爆発,後部上甲板船室に居った私達二,三人船室の外に出ようとすれど「ドアー」開かず,二人で体当たりすると同時に二本目が「ズシーン」とその間一分足らず,船は左に傾きながら,真っ黒の闇の中を全船倉,爆発に爆発を重ね,各戦友の安否を気遣い連呼しながら,左に横倒しになりつつある,右船腹伝いに闇の海に三,四人と共にドンブリと,飛込みフト後をみれば船は沈み、そのあとに火の海,航空燃料のドラム缶次つぎに浮き上がり「バーン・バーン」と幸か不幸か闇夜の広い海の明りになり,明りを通して泳いでいる者の点呼「オーイ・オーイ」と私の周囲には案外元気な船員四名と足腰に負傷しているC機長の六人浮流物の電信柱のような物に,しがみつき泳いでる助かった者をぐるりに呼びあつめて,バラバラにならない様にと,A艇長も無事近くに,北口一曹左舷の見張りについて居ったこと故,又B上曹も左中甲板の浴槽の中,マサカ?と,チョロチョロ燃えてる火のぐるりを点呼しつつ,探せど応答無く,午前零時過ぎ,敵潜水艦攻撃の護衛艦に助け上げられ,艦長に頼み不明者のあるを申告,捜索を続行すれども効果なし,残念なり。
 右の次第にて北口末吉海軍一等兵曹はパラオ近海の南太平洋において昭和十九年一月一四日名誉の戦死
 不肖私(Y)は再度A艇長についてハルマヘラ島に転戦。終戦,無事復員。」
(以下,後略)

(ひとり言「パラオ近海」って,ペリリュー島に近かったかも・・・ 合掌