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古代人が知覚した「神」

白川静先生によると,「神」という文字の右側(旁;つくり)である「申」は,「稲妻(電光)の形」であり,古代中国人は,稲妻をもって,「天にある神の威光のあらわれ」と考えた,とのことだ(『常用字解』平凡社)。
一方,中西進先生によると,「稲妻(イナズマ)」は,「稲の妻(ツマ)」=「稲の相手」=「稲(=女神)の夫」を意味する(『日本人の忘れもの1』所収「むすび」「カミナリが稲とセックスする」)。すわわち,雷(カミナリ)の光は,稲と交合して妊娠させる「男神」として観念されていたことになる。

ところで,古事記・日本書紀に登場する天照大神は「女神」であるのに対し,円空が造顕した天照大神は「男神」の像容である。その理由について,諸説となえられているが,記紀のアマテラスには,編纂当時の権力者(持統天皇)の姿が投影されたフィクションであるとの見解(上山春平説)が有力である。その一方で,円空再興の弥勒寺(岐阜県関市)に遺された「神統記」(円空直筆)によれば,天神の四代目(泥土煮尊・沙土煮尊)から七代目(イナザギ・イナザミ)までの4代は,明らかに夫婦神であるところ,それに続く,天照大神以下の地神5代は,いずれも独神で,かつ,天照大神を除く地神4代は后を持つ男神であることに照らすと,円空においても,天照大神を男神と観念していたと考える方がむしろ自然である,という見解(小島梯次「円空・人」)が通説といっていいだろう。

最初の話題に戻って,古代中国人や古代日本人に共通する「原初的な自然神」の観念に照らすと,日本古代の神が太陽神=天照大神=女神と観念されたと考えるよりかは,神=稲妻=男神と観念された,と考えた方が,やはりしっくりくる。