北口雅章法律事務所

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「渥美半島の風」;小川雅魚(まさな)さんの正体は?

「ダメだってば。バッハ以外は勘弁してよ。」と言っても,
聞き入れてくれない,強引な母の「指令」で,
今日(1月28日),
愛知県芸術劇場(愛知芸術文化センター・地下1階)にて開催された,
同劇場プロデュースの公演「加藤訓子(パーカッション)×平山素子(ダンス)
『DOPE』」を鑑賞してきた。

クーちゃんこと加藤訓子(くにこ)は,母の姪,つまり私の従妹なのだ。
超マイナーな打楽器(パーカッション)演奏にもかかわらず,
共演者(ダンサー)に恵まれたこともあってか,リサイタルは盛況であった。

平山素子さんのダンスは,東洋的な振り付けと,パントマイム的な要素が組み合わさった,
一種独特なダンスで,なかなかの熱演だった。
2月2日から4日まで,埼玉(彩の国さいたま芸術劇場小ホール)での公演を予定している,
とのこと。

 

 

 

 

 

さて,クーちゃん(訓子[クニコ])に会うのは,○○年ぶりだと言いたいところだが,
実は,昨年6月,「宗次ホール」(名古屋市栄)でBACH(バッハ)を演奏する
とのことだったので,昨年,はじめて彼女のコンサートに出向き,約20年ぶりに会っている。
http://munetsuguhall.blog8.fc2.com/blog-entry-1088.html

公演の後,敦子叔母(クーちゃんの母)が,
「クーちゃんの『追っかけ』をしていただいている。」という,ちょっと変わった,
「英文学者」(60代男性)を紹介してくれた。
名は,小川雅魚(まさな)さんという

この半年間に,クーちゃん(訓子)のコンサートに,6回も来てくだすったとのこと。雅魚(まさな)さんと立ち話をした際,その「追っかけ記録」を同人誌『渥美半島の風』に寄稿されているとのことで,一冊,贈呈くだすった。

さっそく,自宅に帰ってから読むと,
身内である私の知らない,親族のことがイロイロと書かれてあった。

まず寄稿文は,「渥美線の車中」にて出会(でくわ)した,「オサムくん」(石川理氏;渥美半島在住の彫刻家)から,クーちゃん(訓子)のコンサートに誘われたところからはじまるが,

注記で,私の祖母のことが書かれている。
「幸正さん(クーちゃんの父;ユキ叔父)の母,つまりクニコさんのお祖母様タツノさんは,渥美半島宇津江(ウヅエ)の生まれ。泉尋常高等小学校から大阪高女に進み,母校の泉小学校で教鞭をとっていた。オサムくんの叔母すゑさんの尋常小学校2年のときの担任がタツノのさん。」とのこと。

雅魚(まさな)さんが,(博伯父亡き後)浩子伯母宅を訪ねたとき,スクラップブックの中から,

「ふと,おかっぱ髪の少女の影像が目にとまった。後ろの3人の女性はカメラ目線で笑顔をつくっているが,少女は含羞(はにか)みつつも口をきっと結んであらぬ方を見ている。小学3年生の頃のクーちゃんだ。」
(その左横に写っているのが,私の姉じゃい。)

 

 

 

 

それにしても,文才のある「追っかけオジさん」にも応援団に加わっていただき,
過分に「持ち上げて」というよりも,「担ぎ上げて」いただき,
クーちゃんも,「失笑」しながらも(?),満更でもなく(?),
さぞかし嬉しいに違いない。

(以下,引用)

 「とくに加藤訓子のライブはカクベツだ。私のクニコ熱症(フィーバー)は,
長い潜伏期間をおいてはいるが,実は,20年来の持病なのだ。」

(「手が小さかったので中学3年のとき,ピアノをあきらめてマリンバをはじめたんです。…」という敦子叔母の話を踏まえて)「手が小さかったことを私たちは喜ぶべきだろう。だが,ピアニスト加藤訓子を聴きたかった,そんな気がしないでもない。クニコ・アルゲリッチ,私はときどき呟(つぶや)いてみる。」(注:「アルゲリッチ」は,言わずとも知れた,名ピアニスト,私などは,学生時代,アルゲリッチの弾くバッハに心酔していた。)

「『次はどこ?』
 『しばらく日本を離れます』
  日本(ひのもと)にたえてクニコのなかりせば,これで私のクニコ・ツアーはひとくぎり,のどかな夏を過ごせそうだ。
 加藤訓子を聴くことは,世界にもう一度出会うこと。耳を澄まし,身体(こころ)を啓(ひら)き,森羅万象,雑音さえも,生のかなでる音楽であると気づかされる。…
 『Bachはドイツ語で小川のことですよね』
 といったら,少女の笑みがかえってきた」

こんな文章を書かれる「小川雅魚(おがわ・まさな)」さん,
って一体,何者?
椙山女学園大学の教授(文芸社会学 / 翻訳言語論;渥美半島・田原出身)でしたか。恐れ入りました。