北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

服部正明裁判長の思い出

息子が木谷明先生(元刑事裁判官)の御著「『無罪』を見抜く」を読んでいたら、「加藤幸雄先生(注:私が現在お世話になっている元判事)のお名前が出てきた。」というので、「どれどれ」と見せてみらうと、名古屋地裁での判事時代の思い出を語る段の中で、「彼は名古屋地裁の裁判長時代、行政部にいて、だいぶ意欲的な判決をいくつか下したようですね。」と書かれてある。

フムフムと読み進むと、「服部正明さん(故人)」の名前も登場していた。「名古屋管内では一番の切れ者と言われていました。」と紹介されている。

 

実は、私も、弁護士なりたてのイソ弁時代、服部正明裁判長(当時名古屋高裁民事4部・部総括)に大変お世話になった思い出が、約二件ある。
 弁護士なりたてのイソ弁時代、石原ボスの「暖かい配慮(?)で」、「負け筋の事件」は、大抵が私の担当に配点されていた。最初に私が弁護士として裁判所から判決を受けた事件も、一審敗訴後の控訴事件だった。だが、私は、「運良く」服部部長から逆転勝訴判決をいただいてしまったことで、それ以来、増長(?)し、図に乗ってしまったようだ(今では、司法界も様変わりしてしまったが。)。
 そして、もう一件の思い出が、「アノ事件」=養子縁組無効確認等控訴請求事件だった。この事件も、第1審は依頼者(A・C)が敗訴しており、控訴審からの受任であったが、事件は高裁民事4部に係属していた。
 確か三人兄弟妹の次男B(愛知県職員)が親の遺産を独り占めにしようとして、同居の親を籠絡して全財産を自分(B)に相続させる旨の遺言書を作成し、さらに、親と自分の妻と子らとの間で養子縁組までさせていた。養子縁組届の証人欄が偽造されていたので養子縁組の有効性が問題となった訴訟ではなかったかと記憶している。しかしながら、証人欄の偽造は養子縁組の無効事由にはならないので、第一審敗訴はやむをえない状況だった。もうかれこれ約30年も昔の話なので、控訴理由として何を書いたか明確に覚えていないが、次男Bの養子縁組の意図は、当方依頼者(兄Aと妹C)の遺留分を減額させることにあることは明らかだったで、公序良俗に反するとか、愛知県職員という公職にある者が公用文書を偽造するなど言語道断、などという「負け筋」の理屈をネチネチ書いた記憶がある。
 名古屋高裁での第1回口頭弁論。服部部長は、法廷で、弁護士なりたての私に向かって、「被控訴人Bの本人尋問を採用してあげるから、細かいことでもいい、根掘り葉掘り聞くんだよ!」と指導(訴訟指揮)をしてくださった。そして、第2回口頭弁論での被控訴人本人尋問の後、服部部長は、相当金額の解決金による和解勧告をしてくださった。この和解の結果、私は、当方依頼者(兄A)から非常に感謝された。服部部長の訴訟指揮は的確で、大変有り難い存在だった。
 ちなみに、服部正明部長は、第9代最高裁判所長官・服部高顯(はっとりたかあき)長官の弟であると、誰ぞにうかがったように記憶しているが・・・。