北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「司法改革」のパラドックス(真逆の結果!!)- 後編 -

(「司法改革」後のパラドキシカルな現象の2つ目は,)

 

2.「頼りがいのある司法」を目的として,法曹人口の大量増員(年間3000人!)
 をめざしたところ,「法曹離れ」が生じ,出願者数が-逆に!-激減してしまい,

 「頼りがいのない司法」となった。

 平成元年度の司法試験出願者数は,2万3202人であったが,

 その後,「司法改革」が進行するに従って,次第に低減し,
  http://www.moj.go.jp/content/000057099.pdf

 平成29年度の司法試験出願者数は,
  なんと,「6716人」までに減少したという。
 「記念受験」もありうることを考慮すると,
  合格者数を2000人にしぼっても,3人に1人は合格することになろう。
 
このようなレベルの試験では,もはや我々の時代の「司法試験」ではない!!

  なるほど,弁護士「数」は飛躍的に増加した。
 が,その一方で,-「質」のみならず- 法曹志望者の「数」もが激減しているのだ。
 そして,「数」の激減は,「競争試験」としての性格を弱めることになるので,
 必然的に「質」の低下を伴うことにもなろう。

 法科大学院も続々と倒産し,定員割れの法科大学院も少なくない。

<参照>「法科大学院の撤退が止まらない。地方国立大に続き、首都圏の有名私立大にも波及。二〇一五年度以降に募集を停止した大学院は二十四校に及び、さらに一八年度からは青山学院大や立教大など四校が募集しないと発表した。司法試験合格率の低迷に伴う不人気が主要因だが、そもそもの制度設計に難があったとの指摘もあり、大学院側から「国の施策に振り回された」との恨み節も漏れる。」(東京新聞:平成29年8月15日)

 

 かつて, 「佐藤・審議会意見書」では,

 「21世紀の司法を担う法曹に必要な資質」として,

 「① 豊かな人間性や感受性,
  ② 幅広い教養と専門的知識
  ③ 柔軟な思考力
  ④ 説得・交渉の能力
   等の基本的資質に加え,
  ⑤ 社会や人間関係に対する洞察力
  ⑥ 人権感覚,
  ⑦ 先端的法分野や外国法の知見,
  ⑧ 国際的視野と語学力等が
   一層求められる」,
   と高らかに宣われた。

 「夢のような」エリート集団だ。
 
 で,現実はどうなのか?

 - 上位数校の法科大学院を別として -,

 各「法科大学院の教員」の中でさえも,
 上記①ないし⑧の全資質を備えた「教員」が一体何名いる!と胸を張っていえるのか??

  上記①ないし⑧の全資質を備えた「教員」が存在するならば,
 誰もが,「私淑」して,
 法科大学院に司法試験志望者が集まりそうなものだが,
 現実には,「法科大学院 39校に半減」(朝日新聞 平成29年7月31日)し,
 残る法科大学院についても,
 司法試験の出願資格について,
 「法科大学院の課程を修了した者」(司法試験法4条1項1号)を削除した場合でも,
 安穏としていておられる法科大学院など存在するのであろうか?
 司法試験法4条1項1号という名の「強制」によって,
 辛うじて,その存在を維持できているに過ぎないのではないか。

 

3.「法曹一元」を志向した結果,その現実化が「夢のまた夢」と消え失せた。

 なるほど「佐藤・審議会意見書」では,「法曹一元」の言葉は出てこない。
 しかしながら,「佐藤・審議会意見書」が提唱する法曹資格者の大量増員政策に対し,
 「法曹一元」という名の「幻想」,否,「妄想」を抱いた弁護士らが,
 「推進派」に同調し,双手を上げて賛同したし,

 かくて,
 「法曹一元論」(該論者ら)が「司法改革」に利用されたことは周知の事実である。
 (河野真樹氏「激増政策の中で消えた『法曹一元』」参照
  http://kounomaki.blog84.fc2.com/blog-entry-1026.html  

 小林正啓氏「こんな日弁連に誰がした」[平凡社新書]212頁,194頁等)

 

 ところが,「司法改革」の結果,どのような事態が生じたか?

 「裁判官・検察官」と「弁護士」との序列化・階層化が露わとなった。

 われわれの修習時代は,私のような“並”の成績でも,
 裁判官教官や,検察官教官の方から「任官せよ。」とリクルートにござって,

わざわざ実務修習地まで,(旅行・視察を兼ねて)おいでくだすった。

 ところが,現在は,上位の成績優秀者,すなわち“上澄み”しか,任官できない。
 つまり,任官したくても, 「任官できない “ 弁護士 ”」が大量に増員され,
 結果として, 「法曹資格の序列化・階層化」が進行し,
 「質の高い,経験豊富な弁護士」の中から,「裁判官」を選任するといった
 「法曹一元制度」がおよそ非現実的で,失笑をかうレベルのものとなった。

 問題は,

 「法曹一元」など,どうでもいいことだ。

 問題なのは,

 裁判官が不条理な判断・訴訟指揮をしたときに,
 「将来の」弁護士は,裁判官と対等な立場で,

 「社会的弱者」「一般市民・一般国民」のために,不当な裁判官の判断等を控制できるのか?

 あるいは,検察官の不当起訴に対し,
 「将来の」弁護士は,検察官と対等な立場で,

  被疑者・被告人のために国家権力と対峙し,真の刑事弁護ができるのか?
 
つまり,
 訴訟を担う法曹相互間で,「能力・資質」において不均衡が生じた場合,
 健全な形での三審制が機能する,当事者主義的な訴訟運営が成立するのであろうか?

 という疑問である。

 

 最後に

 「佐藤・審議会意見書」路線が,歴史的な誤りであったことが,
 誰の目にも明らかとなった今日に至るも,
「法科大学院制度」が,なおも「強制的制度として」(司法試験法4条1項1号参照)
 堅持される理由は一体何処にあるのか。

「佐藤・審議会意見書」路線が誤りであることは,

- 「判事補制度が廃止されない」という現実を前に,それでも,
  「法曹一元」は実現可能だし,実現すべきだと考える一部の
  “法曹一元・原理主義者”はともかくとして,-
 最初から,誰にも,わかっていたことである。

 もちろん,私も,「2000年11月の日弁連・臨時総会決議」には,
 反対票を投じた者の一人である。もっとも,私の場合,
 当該決議(「司法改革」路線への賛同)が成立したときの業界の将来予測として,
 想定してないことがあった。
 それは,たとえ当該決議が成立しても,
 せいぜい10年以内には,「司法改革」路線が破綻してしまい,
 「元の木阿弥」になることが,なかば必然的に期待できるものと思っていたのだ。
 
ところが,現実は,そのような甘いものではなかった。
あのバカげた,「2000年11月の日弁連・臨時総会決議」の「喝采」から
20年近くにもなろうという今日に至っても,
 「司法改革」路線,「佐藤・審議会意見書」路線は,
 恐ろしいことに継承されたままであるのだ。
 
 何故だろうか?

 ① 法科大学院制度自体がある種の「利権構造」になっているのではないか。
 ② 具体的には,法学研究者・大学院事務局の「就職ポスト」の確保の要請があるのではないか。
 ③ 司法制度改革審議会(会長:佐藤幸治・京都大学名誉教授)及びそれを支えた官僚
  達の「無謬神話」があるのではないか,
 等々,いろいろ要因は考えられよう。

 しかしながら,

 やはり,一番説得力のある理由は,ただ一つ。
 「日本病」 (樋口範雄・元東大教授)だ!!!

※<参照>
「国策として始まり,それが何らかの原因でうまくいかないことがわかった場合でも
 途中でやめられないのは,典型的な『日本病』です。
 原子力発電でも,…厚生年金基金でもそうであり,
 問題は先送りされて,いよいよどうしようもなくなってから表面化されます。
 なぜもっと早く見切りをつけられなかったのか。…」
 (樋口範雄「信託と信託法」271-272頁)