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弘法大師・空海の教えに、言行不一致はないか?

弘法大師・空海曰く
「…第三に、一切の法において慳悋(けんりん)すべからざる戒
このもろもろの勝法はみなこれ如来の勤苦(ごんく)修行して身命(しんみょう)を損棄し、ないし、その僮僕床座(どうぼくしょうざ)となって、然して後にこれを得たまふ。これ一切衆生の父母の遺財なり。独り一のためにあらず。もし慳悋して与へざれば三宝物を盗むに同じ。故(ことさら)に犯すは、第三の波羅夷なり。」

[現代語訳]
「(修めるべき四威儀の中の)第三にすべての真理の教えを説くことを惜しむべきでないことの戒
(如来によって説き示された)このもろもろの勝(すぐ)れた真理の教えは、すべて如来が長時にわたって身命を賭し、骨身を削って苦しみに耐えて修行を積み重ねて得たものであり、(あるいは生をいくたびも重ね、)あるときは仕える子となり、あるいは床座となってよく聞いて得たもうたものである。この教えは、すべて人々の人びとの父母たちが遺された遺産であり、如来たりともひとり占めは許されない。もしも、物惜しみして人びとに説かなければ、三宝に所属するものをわがものとして盗むことと全く同じことである。これを故意に犯すのは、第三の波羅夷罪である」(「秘密三昧耶仏戒儀」『弘法大師・空海全集第4巻』311頁)

 注:波羅夷罪」とは、「仏教の出家者(比丘・比丘尼)に課される戒律(具足戒)の内、僧団(僧伽)永久追放に値する最重罪の総称」

もし如上のとおり、仏法を教えについて「如来たりともひとり占めは許されない」のであれば、何故、比叡山の最澄が、『般若理趣経』の経典の借用を懇願したのに対し、空海は、難癖をつけて断ったのか(空海全集・第六巻667頁)。意味不明。

あるいは、空海の主著「十住心論」を読むと、
「巻第九」に「五相成身(ごそうじょうしん)の真言」というのが出てくる。
空海によると、「この五相の真言の不可思議な力(「加持」)によって大日如来と一体となることができる(「大日尊の身と成ることを得」)、という。だが、「十住心論」では「煩わしくなるから(ここには五相成身の真言について)述べない。」など得手勝手な理由で、その内容が述べられていない(弘法大師・空海全集・第一巻609頁以下)。

これも、仏法の「ひとり占め」であり、波羅夷罪に値する、四威儀の戒律違反ではないのか?
ちなみに、西宮絋先生によると「五相成身の観法」は、導師(空海)の直接の面受によって教示すべきものなのだそうだ(『釈伝空海下』797頁)。