北口雅章法律事務所

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鑑真が失明した原因をめぐって

 

鑑真が、5回への渡航に失敗し、6回目にして、ようやく日本に到着するといった艱難辛苦の間に、失明したということは、日本の歴史の教科書に出てくる。受験時代は、失明の原因に疑問を持ったことなどなかったが、先日、鑑真創建の唐招提寺に出向いたときに購入しておいた、鑑真の伝記物である陳寛著「鑑真和上」を読むときに、ふと「失明の原因」について、言及されているかな?と思い読み始めた。

 

陳寛著「鑑真和上」によると、鑑真一行は、748年6月、祟福時(揚州)を出発し、5回目の渡航に出た後、またしても暴風雨にあい、海南島に漂着した際「彼の両眼は次第に見えにくくなっていた。長期間烈日に晒されたことと、海水に浸かったことが老人の体の衰退を速めたのだ。」と書かれている(「栄叡の死と普照との離別、加えて旅の艱難辛苦は、鑑真の心身に大きな損害をもたらし、眼は次第に見えにくくなっていた。」との記述もある。)。本書では、思託「大和上鑑真伝」淡海三船「唐大和上東征伝」(779年)が引用されているので、当時の釈伝にはそのようなことが書かれているのであろう。

 

ネットを見ると、白内障説が有力のようで、その医学的原因として、①加齢、②強い紫外線も挙げられていることに照らすと、当時の伝記は正しく高僧の視覚障害の原因を伝えているようにも思える。