弁護士のブログBlog
中原中也の詩
- 2025-03-09
我々が思春期の頃(高校時代)、
大抵の教科書で採用されていたのが、『一つのメルヘン』だった。
『 一つのメルヘン 』
秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
いろいろな解釈が可能な詩であるが、
この詩人の詩が気になって、詩集を買って読み、
『骨』などの作品にギョッとさせられた記憶がある。
『 骨 』
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思おもえばなんとも可笑(おか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨……
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処(ところ)にやって来て、
見ているのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立たって、
見ているのは、……僕?
恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。
大学時代に購入したままツン読してあった、中村稔先生(詩人・弁護士)の「言葉なき歌・中原中也論」(角川書店)が気になり、読んだ。中村先生の原体験は、中原中也の『春日狂想』にあったとのこと。
『 春日狂想 』
愛するものが死んだ時には、 自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、 それより他に、方法がない。
けれどもそれでも、業ごう《?》が深くて、
なほもながらふことともなつたら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
大岡昇平曰く「(中原中也は)神と倨傲(きょごう=傲慢)の間を揺れ動いた」
中村稔先生曰く「詩人は生活圏(社交圏)と対立して生きていかねばならないのに、しかも、生活の手段としての言葉(名辞)によってしか、詩作をすることはできない、ことに気づいた時期」に、「回心」、「敬虔なる感情」が湧き起こった。それは、「神の恩寵をまちのぞむ姿勢」であり、「『誠実』に生きることに賭けようという決意であった。」(41~43頁)。
「名辞(言葉)をはぎとった世界の暗黒から、つかのま揺曳する光をとらえることのほか、宿命的に詩人でしかありえない彼に許されないと自覚したとき、中原に回心が起こったのであった。」(58頁)
そして、「『誠実』ということは、中原中也にとっては、自らに忠実であることを意味していたこと、『誠実』こそが芸術的創造の必須の原因であると信じていた」(65頁)。
「『春日狂想』に出てくる『奉仕』は『誠実』の最後の変奏である。」(77頁)。
だが、業深き人間には、「『本なら熟読、人には丁寧』、『テムポ正しき散歩をなし』、『「麦稈真田(ばっかんさなだ;麦わらを平たくつぶし編んだもの)を敬虔に編み』、毎日日曜のようにすごすほどのことしかできない。」
中原中也の詩には、「魂を揺すぶられる」(中村)ものがある。
どの詩の何処に反応するのか? 読者によって千差万別であろう。
私の場合は、…
あわれわが若き日を燃えし希望の
今ははや暗き空へと消え行きぬ。…(『 失せし希望 』)
亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
城の塀(へい)乾きたり
風の吹く…(『夏』)
屠殺所に、
死んでゆく牛はモーと啼いた。…(『 屠殺所 』)
海にいるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にいるのは、
あれは、波ばかり。
曇った北海の空の下、
波はところどころ歯をむいて、
空を呪っているのです。
いつはてるとも知れない呪。…(『北の海』)
…森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる(『月の光 その二』)
(画:やなせたかし)
ああ神よ、私が先ず、自分自身であれるやう
日光と仕事とをお与え下さい!(『寒い夜の自画像3』)