北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「高野山の僧侶」 が 「うつ」 で労災認定だとぉ??

高野山の開祖・弘法大師空海の著作や,その解説書は,時折,読み返す。
彼の最期についても,このブログで,若干の考察をし,多くの方に読んでいただいた。

<参照>「弘法大師・空海は,どのように葬られたか」
    https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=913

昔,ある媼【注】から,
「あなたは,当然,空海の『十住心論』は読んでますよね!?」と問われ,
「(『弘法大師全集』筑摩書房は持ってますが)中途で挫折しました。」とはいえず,
「ちょっと,私には難し過ぎて・・・」と言葉を濁したことがある。
「高野山の僧侶」とて,全員が全員,『十住心論』を理解しているはずもないであろうが。

 【注】この媼は,コチラのブログに登場する「アチラ」の方でした。
    <参照>「“正義の顔”― 吉永祐介・元検事総長 ―」
      https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=1361
   

 

ってなことを思い出させてくれたのが,この(↓)記事。

 

僧侶,しかも,「高野山の僧侶」が「うつ」で労災認定とは,
前代未聞だ!!
弘法大師・空海が生きてみえたら,
さぞかし,お嘆きになるに違いない。

(但し,高野山の「公式見解」では,空海は未だ生きてみるとのことだが【注】)

 【注】 <参照> 「『空海・高野山の教科書』に書いてあること」
        https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=929

 

私がいうのもなんだが,
人生は修行である。
僧侶にとって,修行が人生であって,仕事であれ,プライベートであれ,
人生全体が修行そのものであるはずだ。
「高野山の僧侶」にとっては,もとより,「高野山」のために働くことこそが,
 「衆生の救済」のため,「宇宙のため」であり,修行であり,人生そのものではないのか。

「高野山での修行」を「自分の人生」の自己実現=「修行」とは思えない,
「与えられた仕事」を労務(他律的な業務)と思うからこそ,「ウツ」になるのであろう。

労災認定をうけたアナタ。
恐らく,「僧侶」には向いていないと思う。
少なくとも,「空海の思想」など,全く理解していないのではないか。
僧侶の業務は,労働基準法を持ち出した時点で,それは「修行」ではなく,「労苦」だ。
はっきり言っちゃうと,僧侶としては,失格だと思う。

どんな仕事でも,― 特に弁護士の業務は ― 「仕事」を「労務」だと思ったら,
長続きしないと思う。「使命」(Beruf)だと思えないと。
労働基準法の制約など度外視でき,それが生活の一部だ,
と思えるような仕事がしたい,あるいはそう思えるように仕事をしたいものだ。

昔,弁護士になって,某事務所に勤務弁護士(俗にいう「イソ弁」)として就職したとき,
今は亡き石原ボスから,まっ先に言われた言葉が,
「北口くん,ウチの事務所は,『労働基準法の適用はない』からね!!」だった。
(バラシちゃったが,適用除外も,本人=私の承諾があるので,問題ない。念のため。)
(もちろん,その「ウチの事務所」の今の労働条件は,昔とは,違うと思います。念のため。)

石原ボスの上掲言葉に「わかってますよ。」と答えつつ,
「弁護士たる者,そんなこと当たり前じゃないですか。」と内心思っていた。
(今の若い弁護士に通用する考え方かどうかはわからないが・・・)

労働規制等でグチャグチャとなった現在の労働環境。
やはり,仕事は,「楽しい。」と思えないと,やってられない。

が,最近,「仕事が楽しい。」と思えなくなりつつあるのは,
「自分の常識」が通用しない場面が増えてきたから,
という司法業界全体の内情・環境のせいもあると思う。