北口雅章法律事務所

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「円頓寺商店街」への誘い(いざない)

名古屋の商店街の多くは,シャッター街と化してしまっている。これは,従来,大規模小売店が出店するには,地元業者との事前調整を要求していた大規模小売店舗法が,「世界貿易機関(WTO)の基本ルールに反する!」という外圧に屈して,政府が,同法を廃止してしまったからである。

ところが,近時,名古屋では,「大須商店街」が完全に復興し,「円頓寺(えんどうじ)商店街」も活気と賑わいを取り戻しつつある。多分,イベントの企画力のある若い世代のリーダーが牽引力となって,客寄せに知恵をしぼっているからであろう。

一昨日の日曜日(10月7日),「巴里(パリ)祭」前の円頓寺商店街を散歩してみた。
人通りは少なかったが,歴史的にも,いろいろと目を引くものがあったので,紹介しておきたい。

名古屋の中心街は中区栄であるが,官庁街は,その北に位置する中区丸の内,すなわち,名古屋城の旧外堀の内側にある。そして,名古屋城の南側にある裁判所の西隣にある愛知県図書館からさらに西南に下った所を起点に西側(JR名古屋駅方面)に向かって,東西方向に通る商店街が,円頓寺商店街だ。

円頓寺を東から入ると,歌舞伎カフェ「NAGOYA Za(ナゴヤ座)」が目につく。
これについては,後で別途,紹介したい。

「ナゴヤ座」の隣には,年季の入った「提灯(ちょうちん)」を釣り下げた「お好み焼き屋」がある。屋号は「日喜屋」というらしい。

なおも,商店街を歩いて行くと,右手に,やや奥まって,引っ込んだところに由緒ありそうな門がある。

なんだろう?と疑問に思うと・・・,用意のいいことに,
名古屋市教育委員会の案内板が立っている。
どうやら,「慶栄寺太子堂」という浄土真宗大谷派の寺院で,
「松濤庵(しょうとうあん)」という京都東山から移設された,
江戸末期の様式(数寄屋造り)の茶室があるらしい。

門扉に近づいていき,
門扉の「隙間」から寺の境内をのぞき見すると,結構,立派なお寺だ。

さらに,西へ歩いて行くと,
「金比羅神社」が右側の角にある。
大国主命(おおくにぬしのみこと)を主祭神とする神社で,
名古屋城築城当時から城内・三の丸(つまり,当事務所のある所)
の重臣・大道寺氏邸にあった社を,
江戸末期(安政6年=1859年),この地に移設したという。

この神社の「客寄せ」の「手口」は,
名古屋弁おみくじ」

「おみくじ」1ヶ100円也。
神社・正面の木箱に「おみくじ」が入っている。

「宗教施設」というよりは,「風物」といった感じで,

「おみくじ」も当たり障りのないことしか書かれていない。

 

「金比羅神社」の西側側面は,結構,立派で,由緒ありそうだ。

さらに,西へと進んでいくと,
商店街の名前の由来となった,「円頓寺(えんどうじ)」がある。

宗派は何か?
名古屋市民でも,あまり知られてないであろう。
私も知らなかった。日蓮宗とは。
承応3年(1654年)の創建。
本堂脇の堂には,初代尾張藩主・徳川義直公の側室(要は,妾めかけ)より寄進された,
鬼子母神像が安置されているとのこと。

中は,初代藩主の側室ゆかりのお寺とあって,やはり立派なものです。

そして,円頓寺商店街の西のはずれ近くに,
イタリアンレストラン「ARANCIA(アランチェ)」がある。
壁面の絵が楽しい。

そして,円頓寺商店街の西側出入口は,「円頓寺」の交差点だ。
この交差点の四つ角に,何やら,彫刻が置かれている。
一人を除き,郷土ゆかりの「英傑」たちだ。
いずれも,「日本美術専門学校」の生徒で作品で,
平成25年,時田一弘氏が寄贈したとの,銘が刻まれている。

(織田信長)

(豊臣秀吉)

(徳川家康)

「オマケ」が水戸黄門だがね。

 

円頓寺商店街の西端に来たところで,
背後で,何やら太鼓(たいこ)の音が鳴り響いた。

どうやら,「ナゴヤ座」の連中が,呼び込み目的で,
デモンストレーションにやってきた模様。・・・つづく。