北口雅章法律事務所

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「月性(げっしょう)」と「月照(げっしょう)」

 今朝方,カミさんが義父と,近々「げっしょう(月性)」の記念行事があるというので,(義父母が)山口県柳井市まで出向くだのという話をしていた際,カミさんが,その念頭にあった「げっしょう(月照)」と義父の念頭にあった「げっしょう(月性)」とは,どうやら「似て非なる人物」であることが,話の途中で,わかったという。何を隠そう,WADASUは,どちらの「げっしょう」のことも知らなかったので,調べてみた。

 「月性(げっしょう)」(1817-1858)の方は,江戸時代末期,「尊皇攘夷」思想をもって策動した僧侶で,妙円寺(山口県柳井市・浄土真宗西本願寺派)の住職。紀州藩に出向いて国防(海防)の急を説いて回ったことから「海防僧」と呼ばれ,遊学先の大坂から帰郷後の嘉永元年(1848),妙円寺境内に私塾(「清狂草堂(時習館)」)を開設し,尊攘を説いたという。
吉田松陰の兄・杉梅太郎と,久坂玄瑞の兄・玄機(げんき)とも親交があり,安政元(1854)年1月、久坂玄機が35歳の若さで亡くなった後,当時15歳だった久坂玄瑞に,吉田松陰のもとへの入門を勧めたという
 ここまでは,「ああそうなの」というレベルの話だが,実は,「男児志を立て…」の詩の作者が月性だと聞くと,思わず,「そうだったのかぁ!」と思う。すなわち,天保14年(1843年),月性が京都・大阪に遊学のため出郷するに際して作ったのが「将(まさ)に東遊せんとして壁に題す」の詩である,とのこと。

 

「将(まさ)に東遊せんとして壁に題す」

男児志を立て郷関(きょうかん)を出(い)ず(男兒立志出郷關)
学(がく)若(も)し成る無くんば復(ま)た還(かえ)らず(學若無成不復還)
骨を埋(うず)むる何ぞ期せん墳墓の地(埋骨何期墳墓地)
人間(じんかん)到る処(いたるところ)青山(せいざん)あり(人間到処有青山)  

[口語訳]
男子が一たび志を立てて、故郷を出たからには,学問成就を果たせなければ,二度と郷里の土を踏まない。骨を埋めるのは、どうして故郷の地である必要があろうか。世の中、何処にでも青山(墓地)がある。

ちなみに,カミさんの祖父の母(曾祖母)の父(高祖父)が,月性の門下生だったらしい。

一方,「月照(げっしょう)」(1813-1855)の方は,幕末,「尊皇攘夷」思想をもって策動した僧侶で,清水寺(京都)成就院住職。 将軍継嗣問題(13代将軍家定の継嗣を,公卿が推す一橋家の慶喜か,保守派の幕臣が推す幼年の紀伊藩主・徳川慶福か)では慶喜を推したため大老・井伊直弼は月照を危険人物とみなした。月照は,西郷隆盛(薩摩藩)と親交があり、島津斉彬の急死を受けて殉死しようとする西郷に対し,亡斉彬公の遺志を継ぐように諭した,という。「安政の大獄」に際しては,安政5年(1858年),京都を追われ,薩摩へ逃れたが、薩摩藩は月照の保護を拒否し、日向国送りを命じた。このため,月照は,日向国に舟で向かう途上,死を覚悟し,西郷とともに,錦江湾(鹿児島湾)に入水。月照は溺死し,西郷は奇跡的に一命を取りとめたという。なんでやろう? 西郷はメタボで脂肪分が多かったから,体が浮上したのかな?

なんで,カミさんが,月照のことを知っているか?

どうやら,幼稚園時代に読んだ「学習マンガ」の効用らしい(カミさんが,即座に我が家の書庫から取り出してきたマンガの奥書をみると,昭和49年2月15日初刷発行と書いてある。)。

ちなみに,その頃,長州では,・・・

監修:樋口清之,作・画:カゴ直利 「壮挙!咸臨丸」(学研)より。

 

*追記

 実は,西郷隆盛ほどの人物が,月照ごとき僧侶とともに,本気で入水自殺を図るであろうか? という疑問をもったので,私は,さきほど本屋の立ち読みで,澤村修治著「西郷隆盛 滅びの美学」(幻冬舎新書)を手にとり,「入水自殺事件」について何か書かれていないか? と思って斜め読みしたところ,やはり,私と全く同じ疑問をカノ小林秀雄も抱いていたことが書かれてあった。私の直感も我ながら棄てたものではないかもしれない。