北口雅章法律事務所

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小林秀雄が残した難問「徒然草・第四〇段」を読み解く

[設問]

 小林秀雄は,随筆「徒然草」の中で,兼好の「徒然草」の文体の精髄は,「 物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか」 にあると断定し,仏師・妙観(奈良時代)が使用していた彫刻刀の切れ味が悪かった(徒然草・第二二九段)のと同様,わざと「鈍刀を使って彫られた名作」として,次の第四〇段全文を引用する。

因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘容美し(かたちよし)と聞きて、人数多(あまた)言ひわたりけれども、この娘、唯栗をのみ食ひて、更に米(よね)の類(たぐひ)を食はざりければ、斯る(かかる)異様(ことよう)の者、人に見ゆべきにあらずとて、親,許さざりけり」(第40段)

([現代語訳]因幡国[島根県]に住む,何とか入道とかいう者の娘が、美人だと聞いて、多くの男達が求婚し続けてきたが、この娘は、ただ栗だけを食べて,米類を全く食べなかったので,「このような変わり者を嫁がせるわけにいかない。」といって、親は,娘の結婚を許さなかった。)

 そして,小林秀雄は,「これは珍談ではない。徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ,どんなに沢山な事を言わずに我慢したか。」と述べている。
 さて,ここで小林秀雄がいう,兼好が秘めた「沢山な事」とは何か。

 

[解題]

 小林は,随筆「徒然草」の中で,兼好のことを「物が見え過ぎる眼」をもった「空前の批評家」であると賞賛している。そして,「彼(兼好)は,モンテエニュがやった事」を,「モンテエニュが生れる二百年も前に」,「モンテエニュよりも遙かに鋭敏に簡明に正確に」「正確な鋭利な文体」をもってやった,つまり「様々な人間の興味ある真実な形を一つも見逃してやいない」で観察し批評した,と評価している。
 ところが,小林は,兼好が「物が見え過ぎる眼」,「利きすぎる腕」を持つがゆえに,「沢山の事」を感じつつも,それを「言わずに我慢した」と批評しつつ,その「沢山の事」とは,具体的にはどのような事理を指しているのか?,については,各読者に向け,ご自身で読み解いてみなさいといった「挑戦状」を突き付けるかの如くに,右随筆の中で全く述べていない。「自分の腕前を隠す心得があることこそ,大きな腕前である。」(La Rochefoucauld)という自負があるのか,あるいは,兼好が意図して「我慢」した内容を読み解き,暴露することは「野暮」だと考えたのか,その理由は定かではない。
 しかしながら,小林は,兼好の観察眼が「正確・鋭利」なもので,その文体も「鋭敏・簡明・正確」と評価しているのであるから,各読者がそれなりに人生経験を積み,それなりの読解力を持っていれば,「作者と同じ」視線に立って徒然草(第四〇段を含む)を読み込むことで,すなわち,「ある特定の視点」に立って読みさえすれば,誰もが,兼好が「何を言わずに我慢したか」という第四〇段の本旨について,同じ理解・同じ結論に到達するという確信を小林自身もっていたはずである。もし仮に第四〇段の解釈・評価が,読者間で多元的に別れるものであるならば,「簡明・正確」などという評価は当てはまらないであろうから。

 上記[設問]で述べた,「小林秀雄の謎かけ」は,私が長年疑問に思ってきたことであるが,最近,私は,「ある特定の視点」に立って読み返したところ,ある結論に到達した(これが「正解だ」という保障はないが,私自身の心の内では,納得できた。)。ちなみに,ネット等で調べた範囲では,私と同じ結論に到達した方はみえないようだ。

 私のブログ読者も,「小林秀雄の謎かけ」に挑戦して欲しい。ちなみに,あるブログによると,文藝評論家の丸谷才一先生は,この難問に挑戦したが答えは解らなかったそうだが。

 なお,小林秀雄の随筆「徒然草」は,手近なところでは,新潮文庫「モオツァルト・無常という事」に所収されている。

 

[追記(令和3年7月25日)]

その後,私は,徒然草研究の第一人者である川平敏文先生(九州大学准教授,中公新書『徒然草』の著者)にお手紙を出して,第四〇段の解釈について,卑見を打診してみた。川平先生は,私の卑見を否定はされなかったが,川平先生の理解は,やはり卑見とは異なり,「年頃の娘を,嫁に出したくない(あるいは,プロポーズの手をあげてきた男よりも,もっと位の高い貴人のもとに嫁がせたい)」と思う,父親の心理が背景にあるといった,至極オーソドックスなものであった。となると,小林秀雄の理解(『どんなに沢山な事を言わずに我慢したか』)は,やや吉田兼好を『買いかぶり』過ぎているのではないか,という感じがする(ので,小林秀雄の理解は,卑見に近いのではないか,となお今でも思っている。)。このブログは,本日現在も,アクセスしてきて読まれる読者がいるようなので,念のため,補足しておきます。