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「サバ(鯖)を読む」の語源について

サバ(鯖)を読むとは,「数を適当にごまかすこと」をいい,例えば,中年の女性が,実際の年齢より若くみせかけるため,年齢を低めに偽って言うときなどに使う言葉である。

 

 さて,「サバ(鯖)を読む」の語源については,通説的な見解によれば,江戸時代,日本近海で鯖が大量に獲れたが,鯖は夏の魚で傷みやすい季節であったため,大量に売りさばくには,目分量で取引せざるを得ず,数量が合わないことを「鯖を読む」というようになった,と考えられている。
 だが,はたしてそうか?
 大量に取引できるのであれば,数量にこだわる必要がなく,尾数(本数)を厳格に数えて取引したかは疑問であり(数量が合う合わないを意識したり,数量をゴマカスという意図が働いたとも思えない。),むしろ樽のような容器に入れて,「何杯」という形での取引を成立させていたのではないか(「目分量」での取引であれば,厳格な数量には拘らないはずである。)。

 これに対する異説として,本来は「さば(生飯)を読む」の意であると説もある。すなわち,禅宗寺院などでは,修行僧が,自分の器によそっていただいた飯から数粒を,箸で器の外に出し,鳥などに施す慈悲の作法がある(この米を「生飯(さば)」という。)関係で,この「さば(生飯)の分を見越して」=「さば(生飯)を読んで」,飯を多めに炊く,というのが語源だという見解も少数説ながらある。
 だが,はたしてそうか?
 慈悲の作法のために,少々飯を多めに炊いたからといって,飯を炊く量をごまかす,という意図・ニュアンスを伴うことになるようには思えないからである。

 そこで,「サバ(鯖)を読む」の語源について,新説(珍説)を提唱したい。

実は,「鯖を読む」というのは,もともとは「経を読む」の隠語だったのではないか。つまり,寺の和尚がもっともらしく読む「経」は,その意味がわかるように和訳して読むと「有難味」が薄れる面がないではなく,「わけがわからないように」漢語(中国語訳)のまま読み上げた方が,かえって神秘的で「有難味」が増すという面がある。「鰯の頭も信心から」という諺があるように,ひょっとして,修行僧・檀家等の間では,「経を読む」=「鯖(さば)を読む」ものとして,揶揄する「隠語」が存在したのではないか,というのが私独自の新説(珍説)である。

その理由は,次のとおりである。

まず,「鯖(さば)」が,有難い「経」に変身する話は,今昔物語集・巻第12-第7於東大寺行花厳会語(東大寺において華厳の儀式を行うこと)」に出てくる。

この話を現代語訳すると,次のとおりである。

今は昔,聖武天皇が東大寺を創建されて,大仏の開眼供養を実施された。このとき,行基菩薩は,古代インド(天竺)から婆羅門(バラモン)僧正を講師(かうじ)に迎えることを考えていたが,講師とともに法会の高座にのぼって経文を読む,読師については,誰にしようか考えあぐねていたところ,天皇の夢に高貴な方が現れ,「開眼供養の当日朝,寺の前に最初に現れた者を,聖俗・貴賤を問わず,読師に迎えよ」とのお告げを受けた。
 そこで,天皇が,寺の前に使者を派遣すると,夜明けとともに,一人の老人が笊(ざる)を背負ってやってきた。その笊の中には「鯖」という魚を入れていた。使者が,その老人を連れて天皇の御前に参上すると,天皇は,その老人に法衣を着用させ,大仏供養の読師にしようとしたが,その老人は,「私は,そのようなマネは出来ません。長年,鯖を担ぎ,売りさばいてきた,只の老いぼれです。」と申し述べて,断った。
 ところが,天皇は,老人の辞退を許さず,その老人を講師とともに強引に高座に登らせ,高座には,鯖が入った笊も置かせた。そして,供養が終わり,講師が高座から降りると,読師の姿は,いつの間にか消えていた。
 この時,天皇は,「やはり夢のお告げどおりだった。あの老人は只者ではなかった。」と信じ,高座に載せてあった笊を見ると,鯖が入っていたはずなのに,そこには,華厳経80巻が置かれてあった。これを見た天皇は,感涙し,「私の発願に感応して,仏が顕現したのだ。」と仰られ,益々信仰を深めた。天平勝宝4年3月14日のことである。
 その後,天皇は,この開眼供養の日には,毎年欠かさず華厳経を講じ,法会を実施した。この華厳会は,今も年中行事として続いている。信仰をもつ者は,必ず参詣して,華厳経を礼拝すべきである。あの鯖を担いだ杖は,今でも御堂の東側の庭に置かれてあり,常に枯れたままの状態である,と語り伝えられている。

 

これに類似する話が,今昔物語集の同じ巻に収録されている。巻12第27の「魚化成法花経語である。

この話を現代語訳すると,次のとおりである。

今は昔,奈良県(大和国)の吉野山に山寺があり,称徳天皇の時代に,聖人と呼ばれる僧侶が,その山寺で修行をしていた。ところが,この聖人が病気になり,起居できないほどに衰弱したため,「このままでは,病のために修行ができない。病気を治癒して再び修行に励みたいものだ。病気を治すには,肉食で栄養をつけるのが一番だと聞く。されば,魚(いさ)を食べよう。これは重い罪にはならない。」と思って,秘かに弟子に向かって「病の治療のため,魚を食べて延命させようと思う。お前が魚を買ってきて,私に食べさせなさい。」と命じた。
 そこで,弟子は,直ちに和歌山県(紀伊国)の海辺に向け,童子を使い出して,魚を買ってこい,と命じた。その童子は,かの海辺に行って,新鮮な(なよし。注:ボラの幼魚)八匹を買って,櫃(ひつ)に入れた。
 その帰途,童子は顔見知りの男三人衆に出逢ってしまい,「お前が持っている入れ物(櫃)の中には何が入っているのか。」と問われた。童子は,正直に「魚です。」というのも憚られたので,咄嗟に「この中には法華経が入っています。」と答えた。ところが,男ら三人衆が見ると,櫃からは液体が滴り落ちて,生臭いに臭いがしたので,「これは経ではない。魚が入っているのだろう。」と,なおも問い質した。童子は,なおも「いえ,お経が入っています。」と強弁してその場を立ち去ったものの,男達が追いかけてきて,市中に至った。ここに至って,男達は,童子を制止し,童子をなおも厳しく譴責したが,童子は「魚ではありません。お経です。」と居直ったため,男達は,「では,その入れ物を開けて見せない。」と言い放って,強引に櫃を開披を強要した。このため童子は,観念し,恥じ入りながら櫃を開けると,驚いたことに,櫃の中には,法華経八巻が入っていた。男達のうち2名は,恐れおののき立ち去り,童子も「これは不思議だ。」と思いつつも,喜んで山寺へ帰った。
 ところで,三人衆の残る男は,なおも怪しみ,童子の後を付けていったところ,童子は,師の聖人に,事の経緯を子細に報告・説明したため,聖人は,「これはひとえに天のご加護の賜物だ。」と言って,その魚を食べた。これを見た男は,聖人に向かって,五体投地の礼(頭・両膝・両肘を地につけての丁重な礼拝)をし,「これは魚の姿をしていても,聖人の食物なので,経に変化したのを確認いたしました。私は仏教の道理を知らなかったため,経を魚と疑い,童子を責めてしまいました。どうか聖人様,私をお許しください。今後,私は聖人様に帰依します。」と言って,泣く泣く帰っていった。その後,この男は,この山寺の檀那となって,常にこの山寺に供物を寄進し,熱心に供養した。
 仏道の修行をしつつ,体調を保とうとすれば,たとえ毒物であってもかえって薬となり,魚も経に変化するのであって,肉食も罪とはいえない。それゆえ,このようなことを誹ってはならない,と語り伝えたということだ。

さて,ここでも,魚が経に変化したというモチーフが登場する。
ただし,この巻12第27の話で,経に変化した魚は,「鯔(なよし。注:ボラの幼魚)」であって,「鯖(さば)」ではないかもしれない。だが,小学館の今昔物語集の脚注によると,日本霊異記にも,これと同じ話が収録されており,その中の前田家本では,「鯔(なよし)」を「鯔(さば)」と訓を付けているらしい。

 となると,本来は相容れない生臭い「鯖(さば)」と「経」とが,相互に融通しあい,互換性をもつという観念は,日本古来の仏道にも存在したのではないか。このように「仏道は必ずしも厳粛さが貫かれるわけではない。」という一種の遊び心と相まって,「鯖(=経)を読む」という隠語を成立させたのではないか,と妄想した次第。