北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「佐川・行政文書改ざん問題」の元凶は,内閣人事局制度(=アベ)にある

今日は,4月1日。人事異動の時節だ。
3月末,名古屋市役所総務局法制課の関係者や,OBの方々が,慣例で,弊事務所にも,わざわざ挨拶に来てくださった。「ご栄転ですね。」とか,「寂しくなりますね。」など,相手によっては,イロイロな挨拶を交わすことがありうるところであるが,特に今年の人事は,ローカルな人事ではあるが,イロイロな意味で特色があり,いろいろ思うところがあった。「フ~ン,なるほどぉ。『彼』は,そのような人事局の眼』で,人材評価をされていたか・・・」など,ふと,ある人事局関係者の「顔」が思い浮かんだ(『彼』自身は,強権を発動するような方ではないし,公平な采配をするんだが・・・)。

裁判官とて然り。
「人事局の眼」は,遍く(あまねく)行き届いている。弁護士の目からみても,有能な人材は,誰がみても,的確な訴訟指揮をするし,「落としどころ」を弁えた和解勧告をする。そして,「判決書」を読めば,起案者=裁判官の「頭のレベル」は隠しようがない。したがって,「有能な」裁判官は,「最高裁事務総局人事局」のおぼえもめでたく,出世が早いし,最高裁や,その関係職(例えば,最高裁調査官,司法研修所教官,局付等),東京高裁・東京地裁,法務省等にとどまるか,そこから出ても,すぐにまた戻る。
 もっとも,裁判官の場合は,遺憾ながら,「有能であること」は,「出世」のための「必要条件」ではあるが,「絶対条件」ではない。実は,「有能すぎること」は,かえって,マイナス評価になることがありうるのだ。その典型例が,誰もが認める「藤山雅行」裁判官の例だ(まもなく,名古屋高裁部総括判事で定年を迎えられると聞くが,本来は,東京高裁長官のポストから,最高裁判事になってしかるべき人物だ。)。
このおぞましい実態・実情は,瀬木比呂志著「絶望の裁判所」に詳しい(瀬木元裁判官は,名古屋出身で,WADASUの高校のセンパイのようで,小職は,この勇気ある「暴露本」から多くを学んだ。)。

曰く「(最高裁)事務総局のトップである事務総長は最高裁長官の直属,腹心の部下であり,そのポストは最高裁長官,最高裁判事への最も確実なステップである。…『最高裁長官の言うことなら何でも聴く,その靴の裏でも舐める』といった骨の髄からの司法官僚,役人でなければ絶対に務まらない。」,「最高裁長官,事務総長,そして,その意を受けた最高裁判所事務総局人事局は,人事を一手に握っていることにより,いくらでも裁判官の支配,統制を行うことが可能になっている。不本意な,そして,誰がみても『ああ,これは』と思うような人事を二つ,三つと重ねられてやめていった裁判官を,私は何人もみている。」,「(最高裁)事務総局が望ましいと考える方向と異なった判決や論文を書いた者など事務総局の気に入らない者については,所長になる時期を何年も遅らせ,後輩の後に赴任させることによって屈辱を噛み締めさせ,あるいは所長にすらしないといった形で,いたぶり,かつ,見せしめにすることが可能である。」,「事務総局は,裁判官が犯した,事務総局からみての『間違い』であるような裁判,研究,公私にわたる行動については詳細に記録していて,決して忘れない。」

このような「人事管理の一元化」が行われると,どのような事態が起こるか?

曰く「裁判官たちは,常に,ヒラメのようにそちら(最高裁事務総局)の方向ばかりをうかがいながら裁判をすることになる。当然のことながら,結論の適正さや当事者の権利などは二の次になる。」
かくて,「ヒラメ裁判官」(上目づかいしかできない裁判官)ばかりが,はびこることになるのだ。(具体的には,国を被告とする行政訴訟や,原発訴訟等の国策関連訴訟,検察庁のメンツにかかわる再審事件等では,「ヒラメ」は,公権力側に「阿る(おもねる)」ことだけをひたすら考えた結論・論旨を追求することになる。)

要するに,「人事権を握る者」は,「人事権を握られた者」を自らの統制下(配下)におくことができる

そして,国家「行政」官僚の人事権を,「時の政権」の統制下(配下)におき,各省庁幹部の人事権を,完全に握ってしまい,内閣人事局制度を悪用してきたのが,「アベ政権」だ。
 平成20年,福田康夫内閣のもとで制定された国家公務員制度改革基本法11条において「政府は…内閣官房に内閣人事局を置くもの」とされていたところ,これを承けて,平成25年11月,第2次アベ内閣のもとで,国家公務員制度改革関連法案が閣議決定され,翌25年5月30日,内閣法改正により,内閣官房に置かれる内部部局の一つとして,内閣人事局が設置された。この結果,各省の事務次官を頂点とする国家行政組織の幹部の人事が,政権主導で(内閣総理大臣の直下にある内閣人事局を介して,極論すれば,内閣総理大臣の一存で,つまり,アベとの「お友達感覚」,「政権との親和度」で)決められることになってしまった。それを象徴する例が,初代内閣人事局・局長には(警察)官僚出身の杉田和博氏が内定していたが,かの「バカ丸出し(?)」の菅義偉・官房長官( https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=2254 )の主導のもとに,直前に撤回され,加藤勝信氏(衆議院議員)が任命された,という【注】。最高裁判事の人事でも,先般,「弁護士枠」に,「学者」(山口厚・前東京大学法学部・刑法教授)が当てられたことも,政権の意向と無関係ではない(山口元教授は,弁護士資格をもっていても,弁護士として業務経験は殆どないはずで,日弁連の推薦を得ていなかったからだ)。

 このように,国家行政組織(行政官僚)の幹部の人事権を,時の政権(内閣人事局=内閣総理大臣)が握ってしまうと,どのような事態が生じるか?

 
 例えば,国税庁長官のような幹部(財務省)など,政権=アベが,政権=アベにとって「都合のよい人物」に,内閣人事局を介して「首をすげ替える」ことができるようになる。そう,佐川宣寿・前国税庁長官(元財務相理財局長)のごとく,「『アベの言うことなら何でも聴く,その靴の裏でも舐める』,『すべての悪行を自分1人で背負い込んで,アベをかばう』といった骨の髄からの『アベの腰巾着(こしぎんちゃく)』」に,重要ポストが与えられ,「御恩(=ポスト)と奉公」といった封建的主従関係を結んで,平気で「悪さ」(行政文書の改ざんをめぐっての,国民をナメた一連の国会答弁・国会証言,あるいは「身代わり」)をするようになるのである。

 

【注】