北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

刑事裁判官・小野慶二判事のこと

私も、昔、若かりし頃、刑事裁判官をめざして、まじめに勉強した時期があった。その証拠に、小野慶二(けいじ)さんという、「刑事(裁判)」をするために名前を付けられたような方(定年退官時・東京高裁部総括)の退官記念論文集「刑事裁判の現代的展開」という書籍が自宅の書棚にあって、これに収録の論文のいくつかは読んでいた。同判事に私淑する実務家等が論文を寄稿しており、実務上、参考になるであろうと思って購入し、読んだのであろう。内容は全部忘れたが…

この論文集の「あとがき」には、「小野判事は、名利にこだわらず、常に学識に裏付けられた質の高い裁判を目指し、さらに裁判に対する国民の期待に応え、国民からの信頼を得るために、裁判官も裁判所内外からの批判に耳を傾け、裁判官同士の自主的な研鑽を重ねる必要があることを、自らの指針として実践された。」と書かれている。

 

「どのような判決を書かれてた方か」存じ上げないが(時間があるときに、判例検索で調べて、読んでみるとするか…、まあ、そんな時間は殆どないであろうが…)、「團藤重光日記」を読んでいたら、上掲判事が登場してきた。どうやら、團藤先生(東京大学名誉教授・刑法)の「お師匠」(指導教授)であられた小野清一郎博士(東大名誉教授)のご子息とのこと。1回目の日記登場は、團藤先生らの発案で、小野先生が設立された刑事判例研究会主催の、小野先生の米寿祝賀会(88歳、1978年12月10日)。2回目と3回目は、1979年と1980年の各1月1日、團藤先生が、小野先生宅を「年賀で」訪問されたとに登場する。(團藤先生は、1978年1月1日も小野先生宅を訪問されているが、この日は、遭遇しなかったもよう)。ちなみに、1981年1月1日の團藤日記によると、「小野先生はこの1月10日で満90才になられるが、血色もよく非常にお元気。途中で慶二君夫妻も加わる。」とある。

本日(令和7年4月22日)、89才の母が医療事故にあわれた、という方からの相談があった。何よりも、元気・健康が一番ですね。