北口雅章法律事務所

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円空作「袈裟山千光寺百首」その3

円空作「袈裟山千光寺百首」からの続き

 

[7]青柳のいとよりかけてたつ春の みたれてけさはほころびにけり

[現代語訳(逐語訳)]
青柳(の枝)が糸として(職人が)縒(よ)り合わせるようにして垂れ下がっている春のおとずれです。今朝の袈裟山では、(衣の縫い目が解けるように)ほころんで、花が咲いたことよ。
[本歌:古今集・巻一・春歌上26]
青柳の糸よりかくる春しもぞ 乱れて花のほころびにける(紀貫之)
[本歌の現代語訳(逐語訳)]
あざやかに芽ぶいた柳の枝が、糸のように見える春には、ちょうど蕾みがわれて花が開く。
[観賞]
紀貫之が「糸よりかくる」(糸を縒る;複数本の糸をねじり合わせて、丈夫な一本の糸を作る)と詠んだのに対し、円空は、「糸よりかけてたつ」と詠み、「たつ」「(春が)立つ(やってくる)」「(衣類=蕾みを)裁つを掛けることで、袈裟山全体の開花が劇的変化であったことを示唆しているものと読める。

 

[8]けさの野に 花とやみなん 白雲は かかれる枝に うくいす(鶯)の鳴(く)

[現代語訳]
今朝の袈裟山では、白雲が(まるで山全体が白い花を咲かせたかのように)山全体にかかっている。その白雲が掛かっている(白雲で覆われた内側にある木々の)枝先で、鶯が鳴いていることよ。
[本歌:古今集・巻一・春歌上6]
春たてば 花とや見らむ 白雪の かかれる枝に 鶯の鳴く(素性法師)
[本歌の現代語訳]
春になったので、白雪が花のように見えるのだろうか。雪の降りかかった枝で、鶯がな鳴いていることよ。
[観賞]
素性法師は、「鶯が」「特定の枝」に降り積もる「白雪」を花と見て、その枝に止まっている小景を詠んでいるのに対し、円空は、「円空が」春になっても、「袈裟山の野全体」を覆っている「白雲」に隠れた内側から、鶯の鳴き声が聞こえてきた情景を詠んでいる。円空の歌の方が、格段にダイナミックな情景となっている。

 

[9]よそにのみ哀(あわれ)とや見し けさの梅 あかれぬ色に咲き染(そめ)にけり

[現代語訳]
遠く離れた場所から、しみじみと美しいなあ、と眺めてきた袈裟山の梅の木は、今朝、見飽きることのない、鮮やかな色に染まって、咲き始めたことよ。
[本歌:古今集・巻一・春歌上37]
「よそにのみ あはれとぞ見し梅の花 あかね色香は折りてなりけり」(素性法師)
[本歌の現代語訳]
今までは遠くから見て美しいと思っていたのだが、梅の花の見飽きることのない色と香りは、手に折り取ってみて、初めてわかるものなのだ。
[観賞]
素性法師は、梅の花を遠くから見る(視覚)だけでなく、枝を折って手に折って、触覚・嗅覚を働かせることで、格別の興趣を覚えた旨を詠んでいるのに対し、円空は、袈裟山の梅は、開花を眺める(視覚)だけも、(自然態でも)十分に興趣を覚えると詠んでいる。

 

[10]かりがね(雁)の けさはこしし(越路)の 山こえて 秋の半(なかば)に かかるころかな

[現代語訳]
雁(かり)の群れが、今朝、越路(こしじ;北陸)の山を越えてやって来た。(今は)秋の真ん中(仲秋)の時期(9月中旬から10月上旬)にかかる頃(秋の深まる季節)だなあ。
[本歌]不明
[観賞] 修験道の修行場である白山(加賀)から飛来してきた雁に、円空自身の人生を重ね合わせ投影し(厳しい修行を経て、「人生の(円熟する)秋」半ばに来たことを)詠んだか。