北口雅章法律事務所

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円空作「袈裟山千光寺百首」その4

[11]けさの山 雲の梯(かけはし)かけやらぬ 天の川原もやすくこへなん

雲の梯(かけはし)」:高い山に架かる雲を、天に登るための「はしご」や「吊り橋」に見立てた表現。
かけやらぬ」:まだ完全には架かっていない状態。
天の川原(あまのかわら)」:天上にある河原。又は、聖域の象徴。
やすくこへなん」:簡単に越えてしまおう。「なん」は、意思。
[現代語訳(逐語訳)]
今朝の袈裟山は、雲の梯(はしご)がまだ完全には架け渡されていない。そのような険しい道程にある、天上の河原であっても、私は、難なく越えていこう。。
[意訳]今朝の袈裟山は、雲ひとつない晴天だ。天上にある河原では、雲の梯(はしご)が掛かっていないが、観想(修行)の中では、ひょいと「天の川」を越えて行こう。
[観賞]円空の瞑想修行(観想)への意気込み・自信を感じさせる一首である。

 

[12]けさの山 春たつ年の姫子松
       君かくひかと子の日(び)子の日(び)

春たつ年」:春が立つ(立春)年、すなわち、新年。
姫子松(ひめこまつ)」:「小さく美しい松」のことで、長寿の象徴。
君かくひかと」:「君(あなた)がこのように(松を)引くであろうか(と思って)」の意。「ひ(引)」:動詞「引く」の連用形。ここでの「引く」、「(子日遊びで)松を根こそぎ引き抜く」ことと、「長寿を延ばす(引き延ばす)」の掛詞である。「か」:疑問・反語・問いかけ(「〜だろうか」)の助詞。「と」:格助詞:思考(「〜と思って」)・発言の内容(「〜というように」)を示す。
「子の日 子の日(ねのひ ねのひ)に」正月の最初の子の日には、野辺に出て、小松を引き抜く(≒引き延ばす)ことで長寿を祈る(貴族の)風習(習慣)があった(後藤重郎・校注『山家集』10頁)。

[現代語訳(意訳)]
今朝の袈裟山に、立春の姫子松が生えているのを見つけた。あなた(君)も、このようにして(子日の風習として)、毎年、新年の子の日が来るたびに(松を引いて)長寿を祈られるのでしょうか。どうか小松を引いて、長寿を全うしてください。

[観賞]円空の本歌は、たぶん、西行の「(元日子日[がんじつねのひ]にて侍りけるに子日して 立てる松に植ゑそへん 千代重ぬべき年のしるしに元日が子日と重なったので、野に出て引いた小松を、千代を重ねるべき年のしるしに、立ててある門松に植え添えよう)」(山家集6)と、権中納言通俊の「子日(ねのひ)する野辺の小松をうつし植ゑて年の緒ながく君ぞひくべき子の日の風習で、野辺の小松を門松に植え添えて、長寿になるよう、君が小松を引くべきだ[君に引いて欲しい])」(新古今集729)の古典和歌を下敷きにして詠んだものと思われる。ここで、円空が子の日に姫子松を引くことで長寿を願った「君」とは誰か。勿論、俊乗(当時の千光寺住職)である。

 

[13]けさの山しかもかくすか春霞
       かゝれる枝に花や咲(さく)くらん

[現代語訳(逐語訳)]
今朝の袈裟山を、これほどすっぽりと隠してしまうのか。春の霞は。霞のために隠されてしまっているが、木々の枝には、きっと(美しい)花が咲いているに違いない。

[本歌]三輪山をしかも隠すか春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ(紀貫之;古今集94)
[本歌の歌意]春霞は、三輪山をこんなにもすっぽりと隠している。霞の奥には、きっとまだ人目にふれぬ花が咲いていることだろう。

[観賞]紀貫之の本歌は、『万葉集18』天智天皇の「三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ)あらなも隠さふべしや(なつかしい三輪山をそのように隠すのか。せめて雲だけでもやさしい情があった欲しい。あんなに隠すべきだろうか。)」を下敷きにしている。「三輪山」(奈良県桜井市)は、古来、神聖な神体山とされている。この歌では、三輪山を袈裟山に置き換えているに過ぎず、濃霧のような春霞のために袈裟山全体が視界不良となった状況のもと、紀貫之の本歌と同じ情景を思い浮かべた、といったところか。袈裟山の視界不良は、修業の困難を象徴し、「花」をもって「悟り」や「仏性」の隠喩と観る解釈も不可能ではないが、単に春霞に覆われた、今朝の袈裟山(自然環境・自然現象)を詠み、その自然の中に美しい花(おそらく山桜)を想起したものと思われる。
 ちなみに、袈裟山千光寺の寺宝館には、「桜の間」の襖絵(1787年作、三熊思孝筆;県指定有形文化財)が残る。

 

こちらは、信貴山の山桜