北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

続⑵ 「木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件」後のYoshiくん

前置

平成13年7月9日,「木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件」での法廷で,
Aに対する死刑判決の宣告を目の当たりにした私は,
ショックで茫然としてしまい,Aに対し慰める言葉も出なかった。

そして,金輪際,死刑に関わる刑事弁護に携わるのは止めようと思った。
(とはいえ,その後,すぐに,被害者2名を殺害した強盗殺人事件で,第1審・無期懲役判決を受けたために,検察官から死刑判決を求めて検事控訴された,おばちゃんの控訴審・国選弁護を受任せよ!,と旧名古屋弁護士会から指令を受けたが。)

Aに対し,死刑判決に対し控訴させた後,
Aから,Aには珍しく長文で,「控訴審も弁護して欲しい。」と,
切々と懇願する趣旨の手紙をもらった。Aの気持ちは嬉しかったが,
「全力を出し切って,このザマだから,控訴審では,別の新規の刑事弁護人を選任してもらい,『新たな視点』,『新たな発想』のもとに,弁護してもらった方がAのために良い。」
という趣旨の手紙を返し,本件での控訴審での刑事弁護は固く断った。

そして,その数年後,

A・B・Cらは,日本少年犯罪史上初だと思われるが,3名同時に死刑判決を受けた。つまり,第1審段階では,主任のH弁護士とともに私も携わったAだけが死刑となり,B・Cはいずれも無期懲役であったが,控訴審〈川原誠裁判長〉は,原審の判決を覆し,木曽川事件についても殺人罪を認定した上で,主犯格少年(犯行当時少年)ABCの3名を全員死刑としてしまったのだ。

 

「文春」少年犯罪推知訴訟のこと

 おそらく控訴審段階でのことだと思われるが,「週刊文春」が,本刑事裁判の1審公判を傍聴した被害者(当時19歳)の父親の語った裁判の印象(C=Yoshiくんに全然反省の色が見られないなどという印象)や,本件犯行の残虐さ,Yoshiくんの生活歴・非行歴・交友関係を5ページにわたって報道した。その際,「文春」は,一部偽名を使ったが,Yoshiくんの実名と一部の文字が共通し,かつ,音に共通性があったため,Yoshiくんの周囲の関係者が読めば,容易にYoshiくんのことを報道しているものと推知できた(推知報道)。このため,Yoshiくんは,本件記事によって,名誉・プライバシーが侵害されたと主張し,文藝春秋社を訴えた。

 詳しい経緯は,忘れてしまったが,私は,控訴審から,この「文春」相手の少年犯罪推知報道訴訟の弁護団に加わった。といっても,実動部隊ではなく,「名目的に」弁護団に名を連ねることを承諾したというのが実情で,訴訟遂行の大半は,弁護団長の多田元先生(子どもの権利委員会委員長にして,元裁判官)が殆どの書面を作成され,訴訟遂行に携わってみえたと思う。
 この「文春」相手の少年犯罪推知報道訴訟は,第1審はYoshiくん側が勝訴し,控訴審(宮本聖裁判長)でも,Yoshiくん側が勝訴した(控訴棄却)。この宮本判決は,「推知報道」に当たるか否かの基準について,Yoshiくんと面識のある読者,又は,Yoshiくんと生活基盤としてきた地域社会の不特定多数の読者を評価基準として,本件報道内容からYoshiくんに関する情報を報道するものであるか否かを評価し,上記文春記事が「推知報道」に当たると判断した上で,「文春砲」は,少年法61条に趣旨に反し,「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」を侵害し,かつ,Yoshiくんの名誉権及びプライバシー権を侵害したと判示したのであった。

 ところが,遺憾ながら,上記宮本判決は,最高裁で覆されることとなった(要するに,最高裁平成15年3月14日第2小法廷判決は,「推知報道」に当たるか否かの評価基準については,「不特定多数の一般人を基準とすべし」と判示し,かつ,名誉権侵害の存否は,言辞が真実であるか,真実であると信じるについて相当な理由があれば,免責されるし,プライバー侵害の点も,公表されない法的利益と公表する必要性とを比較衡量して,公表されない場合に限って不法行為が成立するというのが過去の先例であるにもかかわらず,原審は,これらの諸点について審理不尽であることを理由に,破棄差戻の判決をくだしたのであった。)。
 そして,差戻審では,Yoshiくんの主張は,全面的に排斥されてしまった(名古屋高判平成16年5月12日,平成16年11月に最高裁第三小法廷が上告不受理。)。
 ちなみに,上記原審が認定した「少年の成長発達過程において健全に成長するための権利」侵害の点は,控訴審までにYoshiくんサイドでは主張しておらず,裁判所が,このような訴訟当事者の主張がないところで,当該権利侵害を認定するのは,弁論主義違反であるというのが,最高裁で本件審理に携わった北川弘治・元最高裁判事の見解である(講演『裁判の生命』司法研修所論集・第115号参照)。

 

「フライデー」獄中書簡訴訟のこと

 その後(平成21年7月ころ),私は,Yoshiくんから,お手紙をもらった。
 要するに,本件刑事事件の控訴審判決後,間もなく発行された写真週刊誌「フライデー」で,Yoshiくんのことが報道された。同誌では,「独占入手!『’94年連続リンチ(大阪・愛知・岐阜)殺人事件』当時は18歳だった-」,「死刑判決(高裁)“少年”被告の『あまりに無反省な』『獄中書簡』」との見出しがつけられ,Yoshiくんが,名古屋拘置所に在監中で,文通相手としていた少女Zに宛てた手紙の記事の一部とその書簡の写真が公開されていた。このため,Yoshiくんは,当該記事が,Yoshiくんの著作権や,名誉・プライバシー権を侵害していると主張して,弁護士を付けずに,孤軍奮闘,発行元である講談社を訴えていた。
 ところが,第1審で敗訴したので,控訴審から代理人について欲しいというのだ。

 私は,丁重に断わろうと思った。そして,「Yoshiくんの民事訴訟は,多田元先生が代理人を引き受けてくださっているので,多田先生に委ねるべきだ。それに,Yoshiくんには,Yoshiくんの刑事弁護人が,第1審,第2審で各々2名の合計4名つかれていたので,その中のどなたかに頼まれてはいかがか。」という趣旨の断り状を,名古屋拘置所在監のYoshiくんに送付した。
 ところが,Yoshiくんは,怯まなかった。何処で身につけたのか,最高の「殺し文句」を使って,再度,上記訴訟の控訴審代理人の引き受けて欲しいと頼み込んできた。彼の「殺し文句」はこうだ。「ボクは,どうしても,北口先生に引き受けて欲しい。北口先生は,他の弁護士とは違う。もしも北口先生が,ボクの刑事弁護人だったら,ボクは死刑にはならなかった,と本気で思っている。」と。アノ「貧乏クジ」(『川原 J 』)を引いてしまっては,誰が弁護人になろうが,結論は同じではあったが,Yoshiくんの「殺し文句」で心を動かされた私は,やむなく,彼の控訴審での弁護・訴訟代理を引き受けることを決意した。但し,書面は,基本的には,私の方で用意するが,多田先生と共同受任することを条件とした。

上掲「フライデー」には,Yoshiくんが作成した獄中書簡の中から,「私はクリスチャンです。夢・目標=伝道,牧師」,「殺意はなかったが,未必の故意の中では,分らないが,殺すことよりも救護しようとしなかったこと,パイプで殴っていることから殺人でも仕方ないが,もう一人には一切暴行を加えてないので知らない。責任としても放置したという点で傷害致死じゃないか」,「私は殺意もなく,一件は90%殺人罪はしていない。悔やむことでない。」等の部分が引用したうえで,Yoshiくんの前記彼女に対する,激励の言辞や旧約聖書の言葉を引用した宗教的色彩を帯びた文通行為について,「監獄から偉そうな教えを書いた手紙」,「だが,男はかつて4人の若者の命を奪った極悪非道の鬼畜だった」,「己の罪をロクに反省もせず」,「我が身を振り返りもせず,獄中で牧師気取りで」などと見下し,誹謗する記事を掲載していた。

 これに対し,私が,講談社側に対し,裁判で主張したことは,要旨,次のとおりである。

⑴ Yoshiくんは,犯罪行為を行った元暴力団組員が改悛して牧師・伝道師として更正した旨の内容が書かれた書籍等に感銘を受けるなどしてキリスト教に入信し,プロテスタント系日本聖公会から洗礼を受けるなどして,日々,被害者の冥福を祈る信仰生活を送っている。
⑵ 本件手紙も信仰生活の中で真摯な思いで差し出されたものであって,「フライデー」の上記記事は,刑事被告人であるYoshiくんの「反省の有無・程度」という事実を論評したにとどまるものではなく,Yoshiくんの宗教活動・信教を不法に冒涜・侮辱したというべきである。殊に,Yoshiくんが,本件刑事事件の第一審判決と異なる控訴審判決に疑問をもつのは当然の心理であり,Yoshiくんが過酷な幼少時代のハンディにもかかわらず革命的な人格的成長を遂げ,真摯に従前の行状を悔い改めて獄中で宗教活動を行っているにもかかわらず,現実の宗教活動の内情を全く知らない第三者である被控訴人(講談社)が本件記事により,個人の信教に基づく宗教活動について,公然と軽蔑・侮辱することが「正当な論評」でないことは明らかである。
⑶ 本件記事は,表現行為が著しく侮辱的,誹謗中傷的であって,社会通念上許される限度を超え,一般的に他人の名誉感情を侵害すると解されるから,Yoshiくんに対する関係で名誉感情の侵害等(宗教に係る人格的利益を侵して名誉感情を侵害する場合を含む。)による不法行為を構成する。

 このような私の主張に対し,名古屋高裁平成22年3月19日判決(裁判長裁判官:岡光民雄,裁判官:片田信宏・光吉恵子)は,これを一蹴した。この判決は,判例時報2081号20頁以下で紹介されているので,この評価は,各人の評価に委ねたいが,名古屋高裁の死刑囚に対する人権感覚には,今でもお寒いものを感じる。

 

「竹書房」漫画訴訟のこと

 竹書房が平成20年9月に発行した漫画雑誌に,「三府県連続リンチ殺人事件」と題する漫画が掲載された。この漫画では,「木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件」を題材として,A・B・C(Yoshiくん)の言動・容貌等が著しく醜悪に歪曲して描かれていた
 このため,Yoshiくんは,単独で,竹書房を被告として,東京地裁に提訴したが,敗訴した。このため,Yoshiくん,私に対し当該漫画雑誌を送ってきて,控訴審からの訴訟代理の受任による応援を求めてきた。
 いくら漫画とはいえ,社会的関心のある刑事事件を素材としながら,事実関係を著しく歪曲・改変することは,Yoshiくんらの名誉権・プラバシー権・名誉感情を侵害するはずである。

 Yoshiくんは,「大阪事件」での絞頸による殺害行為には一切関与していない。ところが,当該「漫画」では,彼が,当該殺害の実行犯であるかのごとくに描かれていた。

また,「木曽川事件」は,起居不能に至った被害者を「藪の中」に放置して逃げたのであって,被害者を「火達磨」にして焼死させた事案ではないし,シンナー仲間を殺害して,嗤った事実などない。また,「長良川事件」の暴行態様も,事実と著しく異なる。

 

私は思わず,怒りに震えた。
かくて,控訴審から私も「参戦」し,確定死刑囚であるYoshiくんには,「拘置所内で,静謐な心境・環境の中で」各被害者の冥福を祈り,弔い続ける法的保護に値する権利利益があり,当該漫画は,かかるYoshiくんの権利利益をも不当に侵害するもので不法行為を構成するとの新主張を追加して,東京高裁,次いで最高裁に不服申立てしたが,一蹴された。「確定死刑囚らには『人権』はないのか?」という裁判不信を抱かざるを得ない結末であった。

以上のようなYoshiくんとの交際を経て,
先のブログ『「木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件」後のYoshiくん⑴』で紹介したとおり,Yoshiくんとの交流があった。