北口雅章法律事務所

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本多静雄コレクションの円空仏

先日,オークションに,
[私家版]「讃 円空仏」と題する立派な箱入りの本が出ていた。

発行日・発行者は,昭和45年1月5日猿投町(現・豊田市内)在住の本多静雄とあり,何者か?と思って,ウィキペディアで調べると,杉本健吉(洋画家)や,加藤唐九郎(陶芸家)等,地元愛知県の名士と親交のある「豊田名誉市民」で,「豊田市民芸館設立に尽力」とあったので,ピンときた。恐らく本多静雄氏は,円空仏のコレクターでもあり,「豊田市民芸館」所蔵の円空仏は,すべて同氏のコレクションを寄贈したものであろう,と。となると,「讃 円空仏」の中身は,「豊田市民芸館」所蔵の円空仏と重なることになり,私にとっては,目新しい円空仏は殆どないかもしれない。でも,円空仏の写真集は,図録以外の写真で,手近に鑑賞できる写真は,殆どが後藤英夫氏か,長谷川公茂氏が撮影されたものに限られるので,ついつい手を出して見たくなり,「豊田名誉市民」の「讃 円空仏」を落札してみた。

落札の結果は,「讃 円空仏」の中身の殆どが「豊田市民芸館」所蔵の円空仏と同じものであったことは想定内だったが,写真の撮影者が後藤英夫氏であることまでは,予想していなかった(予想すべきだったが)。
一方,私は,「豊田市民芸館」を訪れたことは未だないので,念のため,豊田市民芸館に電話して,同館発行の書籍「企画展 名誉市民 本多静雄コレクションⅢ」(以下「民芸館図録」という。)を購入し取り寄せてみた。すると,次のことが解った。

「豊田市民芸館」には,25体の円空仏が飾られているが(但し,民芸館図録によれば,1体は「円空仏?」とあり,模作の可能性を否定できない模様。),その配置は,本多静雄氏が,御自身のコレクションを「阿弥陀来迎図」に見立てて立体的に配置したものらしい。民芸館図録には,円空学会理事長の小島梯次先生が「本多コレクションの円空仏」と題する解説文を寄稿されているので,「円空仏?」と鑑定されたのは,小島先生であろう。ところが,その「円空仏?」とされた円空仏こそ肝心要の「如来像」なので,客観的には,遺憾ながら,豊田市民芸館の円空仏群をもって,「阿弥陀来迎図」を構成することは難しそうだ(もっとも,理屈を付けると,豊田市民芸館所蔵の聖観音像のうちの1体の前頭部には,阿弥陀如来の化仏が造顕されている像[民芸館図録の表紙の写真参照]があるので,これを中心に据えれば,立体「阿弥陀来迎図」を描けなくはないかもしれない。)。

 

 

では,本多静雄氏は,同氏のコレクションの全てを「豊田市民芸館」に寄贈したであろうか? どうやら,「讃 円空仏」に掲載された本多静雄コレクションのうち,少なくとも次の3体は,「豊田市民芸館」には存在しないようだ。

「豊田市民芸館」には存在しない円空仏の一つ目は,

「十一面観音」だ。これは,実に素朴で,秀逸な作品だ。

 

「豊田市民芸館」には存在しないと思われる円空仏の二つ目は,

「釈迦如来像」とされている像である(常楽寺[青森県むつ市]や,瑞巌寺[宮城県松島]に遺る円空作「釈迦如来像」と異なり,螺髪でないのことから,私は,聖観音だと思うが,便宜上「釈迦如来像」という。)。

 

 

そして,三つ目が,極めて抽象化された観音像だと思われるが,

谷口順三氏(初代・円空学会理事長)の解説によると,仮に「比丘像」と呼ばれている像である。曰く「寸分すきのない優作である。未完成品では断じてない。」「大智を秘めた円頂,煕胎微笑の面貌,衆生済度の大勇猛心を示す頤,閻浮壇金の光をはなった法衣,如来,菩薩か,或は円空自身か。尊名を知るに由ない。仮に比丘像と名付けた。」とある。谷口氏の鑑識眼の適格さは流石であるが,信仰の対象を「民芸品」というのは,いかがなものかと思われる。

 

さて,上記趣旨のブログの素案を書き上げたところで,これまで,実は,その存在は知っていたが,読まなかった本多静雄氏のエッセー「円空仏を集めて・・・」(『定本 愛知県の円空仏』郷土出版所収)を読んでみた。
この本多氏のエッセーによると,同氏の個人蔵の円空仏は30体あり,うち26体を豊田市民芸館に寄贈し残る4体のうち,3体を杉本健吉画伯ほか2名の知人に贈呈し,残る一体を個人蔵にしたとのこと。本多氏は,谷口順三氏とは,就職先の逓信省(旧郵政省)で知り合い,同氏が岐阜郵便局長のときに,円空仏展を鑑賞したことこで,円空仏に関心を持つようになったとのこと。そして,その後,新興宗教に改宗した旧家の方々が,自宅の仏壇から個人蔵の円空仏を手放し,近所の骨董屋に持ち込む都度,骨董屋→谷口氏→本田氏との連絡網のもと,谷口順三氏からの仕入れ・鑑定情報をもとにコレクションを集めていたとのこと。今では,考えられないような話だ。