北口雅章法律事務所

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「腹腔鏡事件をめぐる医療裁判」で考えたこと その6(外科編2)

(承前・拙ブログ「「腹腔鏡事件をめぐる医療裁判」で考えたこと その5(外科編1)」」)

【本編では、術後管理経過の概要を整理し、 本稿公開の目的を述べます】

 

 一般に、胃切除手術(幽門側胃切除+残胃十二指腸吻合)の術後管理に当たる医師は,手術部位に「縫合不全」を疑うべき所見(感染症状等)を認めたとき、あるいは、ドレナージ効果が不十分と認められたときは,可及的速やかに最適なドレナージに切り替え,十二指腸液等の漏出物をできるだけ強力に体外に排出するなどの適切な管理措置を講ずるべき注意義務を負う。「縫合不全」を疑うべき所見にはいろいろあるが、基本的には、a.患者の症状(発熱、腹部痛等の有無)、b.血液検査の数値(特に白血球・好中球・CRP)、及びc.吻合部ドレーン排液の色調を経過観察することが重要である(他に、d.ドレーン排液のアミラーゼ値、e.腹腔内膿瘍、f.胸水貯留が重要である。)。本件患者の術後経過は、概略、次のとおりであった。
第1病日(本件手術の翌日),発熱と血液検査数値の異常(白血球1万4800μl及び好中球86%の増加等),ドレーン排液の異常暗赤色茶褐色)が認められ,❷第2病日には,血液検査数値の異常(白血球増多1万7300μl,好中球増加85.2%),ドレーン排液の異常茶褐色・小豆)に加え、両側胸水と左横隔膜下の液体貯留が見られた。さらに,❸第3~第5病日にかけて,ドレーン排液の異常小豆色・その混濁色。同22日のそれは悪臭を伴う。)や,血液検査数値の異常(炎症反応)の継続など,縫合不全に起因する術後感染症の継続,悪化の徴候が見られた。続いて,❹第6病日ドレーン排液の異常膿性混濁した薄い小豆色),左横隔膜下液体貯留などの所見が見られ,第7病日には,ドレーン排液の異常薄茶色の混濁乳び色),左横隔膜下の膿瘍内に挿入されたカテーテルからの薄い小豆色の混濁した排液が見られ,❺第8~第10病日にかけても,左横隔膜下ドレーンからの混濁した排液が膿性に変わり,炎症反応の悪化(白血球3万3500H),左胸水の増加が見られた。そして,❻最終的に第14病日,突如、腹腔内で右胃大網動脈・根部の破綻による大出血が起き、その翌日(第15病日),本件患者の容態悪化に伴って実施された開腹ドレナージの際,本件吻合部に10ミリ大の穿孔と腸液の漏出が認められ,腹腔内の広範囲にわたる感染状況が確認された。
 以上の経過(❶~❻)は,いずれも本件吻合部から十二指腸液が漏出して上腹部術野に貯留していること、つまり、縫合不全を示す所見である

 そこで、当方(G)は、以上のカルテ記事に基づく事実経過(概要)とそれに対する高名な大学医学部名誉教授(当初は匿名)の見解・評価を前提として、術後管理に当たるB医師においては,第4病日,遅くとも第5病日の時点では,縫合不全に起因する術後感染症の発症を強く疑い,縫合不全の治療法であるドレーンを最適化すべき注意義務を負うべきところ【 注 】、この注意義務を怠ったと主張した。B医師が怠った医療措置の具体的内容としては、フラット・ドレーン(低圧持続吸引器)では陰圧が不十分で,ドレナージ効果も不十分であることから、吻合部ドレーンを最適な位置に調整し直し,より吸引力の強い電動式低圧持続吸引ドレーン又はダブル・ルーメン・ドレーンに切り替え,さらにこれらの方法でも症状の改善が見られない場合には,躊躇なく緊急開腹手術を行って縫合不全部分を確認し,感染部分の完全な排出などの措置を講じなければないらいことを主張した。そして、B医師は,過失により本件患者の病態を軽微な膵液漏と軽信し,吸引力不足のフラット・ドレーンの使用を継続するにとどまった(この結果が患者の死因となった)、と主張した。
【 注 】「縫合不全に対する治療の原則はドレナージである」(田中千恵ほか「上部消化管手術の縫合不全の予知・早期発見のベストプラクティス」[甲B93・831頁])
 これに対し、Y病院側(B医師)は、本件患者の容態(ドレナージ排液の色調の原因等)は,本件手術の際に電気メスによって膵臓に熱傷が生じたことによる軽微な「膵液漏」が原因であり,それによる感染も改善傾向にあったから,当該注意義務違反はなかったと弁解した。

 如上の訴訟対立に対し、名古屋地裁医療集中部(第1審)は、(本件患者が腹腔内の大出血を起こすまで)縫合不全による感染を疑わず,単に軽微な(純粋)膵液漏にすぎないというB医師の判断に不合理な点は認められないとして,当方(G)の主張を排斥した。これに対し、名古屋高裁(第2審)は原判決を取消し、「遅くとも第5病日には、縫合不全であっても膵液漏出であっても最も重要とされるドレナージを適切に行うため、ドレーンの位置調節、種類の変更、追加を行ったり、穿刺ドレナージ、開腹ドレナージなドレナージ方法の追加、変更を考慮したりするべきであった」(15頁14行目以下)として、当方(G)の主張どおり、B医師に「遅くとも第5病日において本件患者の管理を怠った過失」を認めたが、死亡結果との因果関係については、これを否定し、死亡結果を回避できた可能性は、相当程度にとどまると説示した。

 本来、名古屋高裁の手をわずらわせるまでもなく、第1審で、当方が勝訴(楽勝)するはずの事件であったが、第1審の名古屋地裁・医療集中部は、いった何処で、どのように判断を誤ったのか。その判断過誤が、はたして「医療集中部」として許されるレベルのものなのか。の回顧が本稿の目的である(誤認・誤判は裁判につきものであるが、近時のそれは、あまりにもレベルのが低く―医療訴訟を約30年間も重点的に手掛けてきた弁護士の訴訟活動について、裁判官が「自己投影(または、「上から目線」)してしまい、「所詮、素人判断であろう」となめた態度で審理に臨み、いくら自由心証主義とはいえ、患者側弁護士のキャリアを無視し、そのバックについている「権威あるブレーン」への敬意もなく、ハチャメチャな判断しているものと批判せざるをえない。近時の「裁判所の劣化」の典型例として、次回以降のブログで、その詳細を紹介する予定である。)。

 

つづく