北口雅章法律事務所

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妙喜堂の円空作「善財童子像」は,何故,極端に顔が上向きなのか。

妙喜堂(下呂市小坂町長瀬)に遺る円空作「善財童子像」は,極端に顔が上向きである。
何故であろうか。

 

結論をいえば,直観的には,「男根」を模したのではないか。

日本には,古来から「男根信仰」,「性器崇拝」という宗教意識があったことが知られている。「男根信仰」とは,男性器が多産・豊穣・開運をもたらす呪力を宿すものとして,これを崇拝の対象とし,男根の形をした「御神体」を祀る民間信仰のことである。Max Weberの宗教社会学でも,日本における大乗仏教の布教の段で,「(機能神崇拝やそれと同種の)性器崇拝―だが,後者については,今日とりすました近代合理主義がその痕跡を慎重に払拭しているが―,…,および宗教意識の主要な構成要素たる祖霊崇拝―自己の祖先や人神化した英雄の崇拝―などは,…仏教受容の時代まで支配的な宗教意識となっていた。」と分析されている(『アジア宗教の基本的性格』勁草書房88頁)。

円空仏の中には,性的な表現をもつものと考えられる像容が複数あることは,佐藤武氏の論考(「円空仏にみる性的表現について」『円空研究=4』110頁)によって,既に詳細に指摘されている。佐藤説には,賛同できない部分もあるが,その論考で指摘されているように,円空が民間信仰を取り入れ造顕したと考えられる宇賀神の像容や,西谷白山神社(岐阜県関市)白山十禅師像などは,明らかに男根の形を意識したものであろう。

 

私は,円空が,美並村下田に遺した薬師寺跡の「立木仏」も,男根を意識して「御神体」として造顕し,村人達の信仰・崇拝対象としたように思う。

 

このような日本古来の宗教意識と,円空の造顕性向を考えると,やはり妙喜堂の善財童子像は,男根を意識して造顕した可能性が高いように思われる。そして,このように考えることで,対面の脇侍として造顕された善女龍王の顔が異形であること(私は,龍=迦楼羅の嘴が紐状のもので口止めされているように思われる)の深意(寓意)を読み解くことが可能であるよう思う。

 

<司法修習(大分)での思い出>

われわれの司法修習時代は,卒業アルバムで,実務修習での「思い出」の写真を,実務修習地ごとに1枚のせてもらえることになっていた。わが大分修習チームでは,Tさん(後の司法研修所教官)が,大分地方検察庁主催の旅行中に検察事務官に撮影してもらった,「御神体」を囲んでの記念写真(上)を卒業アルバムに載せようと言って,過半数を制したが,私が「品位にかかわるから,コレだけは止めてくれ!」と,他の3名に泣いて懇願したところ,温泉につかった写真(下)に換えてくれた。