北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

元検事総長の逝去と,イソ弁時代の思い出

最近は,何故か新聞の社会面を見ると,訃報欄に目がいくことがある。
今朝(平成30年1月12日)もまた一人,元検事総長が訃報欄に出ていた。

直接,お目にかかったことはないが,少なくとも,私の修業時代,弁護実務を身につける過程で「袖振り合うも多生の縁」のあった方であった。私は,元検察官&元名古屋弁護士会会長にして,平成4年当時は,愛知県公案委員会委員長をされていた,石原金三弁護士(以下「石原ボス」)の事務所に就職し,以後,6年間,同事務所の勤務弁護士(居候弁護士,俗にいう“イソ弁”)として,お世話になった。

平成27年に,石原ボスが逝去された際,
私は,石原ボスの思い出を,一連の回想録として愛知県弁護士会のホームページ(但し,弁護士会会員しかアクセスできない会員専用ページ)に投稿したが,その際,石原ボスと修習同期の前田元検事総長から紹介を受けた,気の重くなるような裁判事件を担当したときの経験を書いた。中堅・新人弁護士にはもとより,一般市民の方にも,司法界の内情を知る上で参考なるものと思われるので,その投稿原稿を,若干修正して,紹介しておきたい。

 

(以下,引用)

「今(の石原総合法律事務所の実情)はどうなっているかは知らないが,先代石原ボスがお元気だった頃(の石原法律事務所)は,受任事件の範囲に関しては,非常に度量が広く大きく,イソ弁の困惑など『何処ふく風』で(かなり筋の悪い事件であっても,相談者の希望に沿って受任しており),今思い起こしても,アノときの『気の重さ』が鮮明に蘇る『筋の悪い』(?)事件《注:できれば,受任したくない事件》を(石原ボスからの業務命令で)やらされた,じゃなくって,やらせていただいたことがある。

心臓に悪い判決待ちをした一件目(前出・第4話)の担当事件の配点時期と同じ頃,私が石原事務所のイソ弁として,石原ボスから配点を受けた「二件目の」担当事件も,私にとっては超重量級の「気の重い」事件だった。

理由は4つ。

第1に,どうみても「負け筋」の事件だった。

第2に,「紹介者」が,超VIPだった。

(「紹介者」は,石原ボス[3期]と修習同期の元検事総長[前田宏氏]で,
 その親戚筋の方が「依頼者」)

第3に,「依頼者」(Yさん)の気難しそう性格が懸念された。

(「要求水準が高そう!」…というのも,当該受任事件は,既に金沢地裁に係属中であったが,依頼者(Yさん)は,前任の弁護士[金沢弁護士会所属]の技量に不信を抱いて,当該弁護士を解任してしまっており,金沢弁護士会所属の「一般水準の」弁護士を見限り,「石原ボスを」信頼して(―「石原事務所のイソ弁を」信頼してではない!―)遠路はるばる受任を要請してきていた。)

第4に,依頼者側がもし敗訴すれば,依頼者は有資格者(土地家屋調査士,不動産鑑定士)として,裁判所から信頼を失う,つまり,依頼者(Yさん)にとっては,職業的信頼ないし社会的生命にかかわる深刻かつ重大な事件だった。 

いくら「石原ボスの後ろ楯」があるとはいえ,アノような「気の重い」事件を,経験の貧弱・未熟なイソ弁(ワタシ)にいきなり託していいものか? 石原ボスの選手起用の「鷹揚」さ(?)が気になる事件であった。(当時は,未だ「電話会議」《注:現在は,民事訴訟法の改正で,遠方の弁護士の場合,裁判所に出頭しなくても,電話参加によって,準備手続が進めることができるようになった。》のなかった時代なので,
 金沢地裁のような遠隔地の裁判所に毎回ボス弁自らが出頭するのでは移動時間のロスが大きく,私は石原ボスの『パシリ』(使い走り)としては使い勝手がよかったのかもしれないが,本件事案の証拠関係は複雑・怪奇で,決して生やさしい事件ではなかった…,筈であるにもかかわらず,石原ボスは,この事件に関しては訴訟資料の分析・反論等も含め,基本的にイソ弁任せ《つまり,弁護士成り立ての私に,事件処理を任せっきり》だった。)

 

[事案の概要]は,こうだ。

ある宅地開発業者が,広大な山林・農地の宅地開発許可を受けたが,当該造成工事中に倒産した。このため,造成計画地内に存在した,ある土地(本件土地)が強制競売にかけられ,A(被告;大阪本社)が,「A地(A番地)」として競落した。ところが,その後に,B(原告)が,地元のB弁護士(金沢弁護士会)を代理人に選任し,本件土地は,実はB所有の「B地(B番地)」であると主張し,A(被告)が本件土地に設置した工作物の撤去を求める訴訟を提起してきた。

これに対し,A(被告)の方は,A弁護士(大阪弁護士会)を代理人に選任して応訴していた。A(被告)の言い分は,『裁判所が選任』した評価人(民事執行法58条参照),即ち,Yさんが特定・評価した『A地(A番地)』を競落したのであるから,もしA(被告)が敗訴すれば,Yさん(評価人)が評価対象を間違えたことになる。従って,A(被告)としては,被告敗訴となれば,Yさんと,その使用者(裁判所=国)に対し,国家賠償請求ができるという理由で,Yさんに訴訟告知し,Yさんは,A(被告)側で補助参加していた《つまり,被告であるAさんが,敗訴しないように,Aさんを手助けすべく,裁判に参加していた。》。

 もともと係争地の所在場所は,金沢市郊外の『田舎』の土地であり,造成計画も杜撰極まりなかったから,(だから,企業者もつぶれる訳で…,地元議員らへのワイロの使い過ぎも倒産原因か?)関連して出てきた字図・公図等も複数あり,かつ,相互に矛盾するものであった。このため,競売申立て記録の中の造成計画図も相当杜撰なもので,Yさん(評価人)が,『B地(B番地)』を『A地(A番地)』と誤認したのも無理もないといえなくもなかった。
しかも,Bは,先祖代々・地元出身の地権者であり,方や,Aや,その前主(土地開発業者)は,所詮,『外部からの』闖入者(ちんにゅうしゃ)に過ぎなかった。B代理人のB弁護士が提出してきた古い字図には,B側にとってかなり有利で,重みと説得力があり,B弁護士は自信満々で,どうみても,A側=Y側は敗色濃厚であった。レトロスペクティブにいえば,Yさん(評価人)としては,『評価対象は特定不能』と鑑定し,逃げておけばよかったものを…,と思われた。後の祭りであるが。

もともと『負け筋』の事件だったので,その中に『勝ち筋』があるとすれば,B(原告)の主張について,証拠不十分に追い込むこと,つまり,本件土地が『B地(B番地)』か『A地(A番地)』か『真偽不明』という形にもっていくしかないと思われた。(即ち,私の弁護活動は,あたかも,本音では“被告人はクロだ”と思っている刑事弁護人が,灰色無罪をめざすのに似ていた。)

このように『思い起こすだけで気の重くなる』『筋の悪い』事件を,『証拠不十分』を理由に,奇跡的に(?)勝たせてくれたのが,昨年(平成26年)定年退官された,かの『橋本良成』元裁判官(修習31期)だった。橋本良成裁判官こそ,かつて広島地裁・裁判長として,当会のM弁護士も関与していたカノ『光市母子殺害事件』の被告人(犯行当時18歳の少年)を弁護していた,刑事弁護人への懲戒請求をTVで煽動した不届き者橋下徹(元弁護士;大阪市長,元『維新の会』代表)に損害賠償を命じた御仁である。当該判決は,遺憾ながら,最高裁で全面的に覆されたが。

さて,ここで,これまでの話を終わらせてしまうと,『北口め。また「自慢話」を書き込みおったな。』などとという誤解のもとに,冷笑されるに違いない。確かに,本投稿で紹介した金沢地裁事案での勝訴判決については,依頼者にも,石原ボスにも(多分,前田・元検事総長にも!)喜んでもらえた《注:実際,石原ボスからは,「前田くんも,喜んでくれた。」といって,お褒(ほ)めの言葉を授かった。》。従来の私にとってこの勝訴判決は,『私の弁護実務能力の水準の高さ』を実証するものである,などといった『誤った自惚れ』を抱かせ,自尊心をくすぶるに足りる経験ではあった。しかしながら,私とて,かれこれ20年以上も実務経験を積み,裁判所の底辺にある『司法村の掟』を感得するようになると,『世界観』が変わり,今までとは,ガラリと違った見方が成立することに気づかされる。

即ち,上記金沢地裁事案を,今,冷静にふりかえり,当該事件の本質を『司法村の掟』の観点から考察すると,橋本裁判官は,『裁判所の履行補助者(注:裁判所の手足として働く職員)』である,いわば“身内(みうち)”を庇(かば)ったのではないか,という気がする。もし仮に裁判所が選任した「評価人」が評価対象を誤って,善意の(ここでは,Aが,自らが競落する土地について,他人Bの土地であることを知らなかったことをいう)競落人(A)に損害を与えたとなれば,B代理人の想定したように,当然に国家賠償請求の対象になるが,その場合,そもそも,そのような誤解を招くような,杜撰な図面に基づく競売申立てに対し,申立人に補正命令も出さず,安易に競売開始決定を出した裁判官の職務上の責任も問われる可能性・危険性があったのではなかったか?,それを見越し憂慮した橋本裁判官は,いわば“隠れた身内”を庇うべく,救済判決をくだしたのではなかったか?

そして,このような“身内を庇おうとする”「司法官僚〈裁判官〉の習性・心裡」即ち「司法村の掟」を熟知され,実務感覚として的確な方向感覚をもってみえた石原ボスが,この種の事案の裁判であれば,訴訟遂行を“北口レベルの”イソ弁に任せておいても,裁判官が身内の失態に基づく国賠請求を許容するような被告敗訴判決を出すことはあるまい,と見透かしてイソ弁任せにしておられたのではなかったか? 一連の「追憶シリーズ」の執筆を機にイソ弁時代を思い返してみて,ふと,そんなことを考えた。

そして,「続・追憶シリーズ」のネタ本ともいうべき,私がイソ弁時代に綴っておいた備忘録をこのほど読み返してみて,益々そのような感が強まった。全く別件ではあるが,石原ボスの詳細かつ綿密な検討メモがみつかったのだ。

とうの昔に忘れていた相談事案だが,詐欺被告事件の第1審で,実刑判決を受けた被告人からの獄中書簡で,無罪・事実誤認を理由に控訴して欲しいという依頼のあった案件で,私は石原ボスから記録検討を命じられた。結局,受任を鄭重にお断りすることになり,その旨の『石原ボス名義の断り状』を私の方でゴーストライト(原案を起案)をすることになったが,その起案文とともに,備忘録に綴られていた第1審判決書の写しには,石原ボスにおいても,詳細な検討をなされていたことを窺わせる石原ボス直筆のメモがイロイロ書き込みまれていたのであった。

―第12話おわり― 」

(以上,引用おわり)

前田元検事総長のご冥福を祈ります。合掌。