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高賀神社には,何故,多くの円空仏が遺されているのか?

高賀神社の近くにある蓮華峯寺には,円空晩年の名作である十一面観音三尊像と,虚空蔵菩薩像が遺されており,高賀神社(岐阜県洞戸村)には,下掲写真の如く,円空が晩年(貞享・元禄時代)に造顕したとみられる多くの像が遺されている(ただし,その一部は,晩年ではなく,寛文年間という説があるが,ここでは立ち入らない。)。ときの住職と意気投合し,長く逗留したとみられる荒子観音寺や,千光寺であれば,一カ所で多数の神仏像が造顕されたとしても何ら疑問ではないが,高賀神社の本殿は,そのように長く逗留するような場所ではなかろう。
何故,高賀神社には,多くの円空仏が遺されているのか?

 

真っ先に思いつくのは,円空は,巡錫して寄宿した在家の方のために神仏像を造顕することが多く,円空仏を造顕してもらった方は,仏壇に置いて,子孫に受け継がせるのが通常であろうが,なかには相続人が居なくなり,やむなく近所の神社に寄贈することで,多くの円空仏が集まることが考えられなくはない。
だが,高賀神社に残る円空仏の写真をよく見ると,狛犬が三対も遺されている。他にも,高賀神社には,一本の丸太を半分にかち割って造顕した狛犬も遺されているので,合計四対もの狛犬を遺しているが,狛犬は,神社・神殿を守護する霊獣であるから,寄宿先の民家に遺すような代物ではない。仏教の守護神である仁王像についても,同様の疑問がある。

となれば,考えられる理由はただ1つ。実は,高賀山は,山岳信仰をもった修験者の修行の場であり,かつては,いくつかの寺社が存在したが,修験道が廃れるにしたがって,寺社が廃屋・取り壊しとなり,その都度,廃寺・廃社となった寺社に置かれていた円空仏が,高賀神社に集められたのではないだろうか。ちなみに,下掲・カラー写真の狛犬は,高賀神社本殿の回廊両角に置かれていたとのことであるから(長谷川公茂「高賀神社と円空」『円空研究=5』所収),高賀神社のために造顕されたものであろう。

 

円空の狛犬は,各々個性があり,ユーモラスな顔をしている。

口を閉じた『吽像』の方は,ガマガエルみたいだ。

おそらく,渦巻き状の雲形紋の数が多いほど,初期に造られ,次第にその数が減って,省略されるようになったものと思われる。

 

仁王像