北口雅章法律事務所

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何故,万葉集に惹かれるのか

高校1年時のクラス担任が,「国語の名物教諭」M先生だった。
ここ数年,賀状が途絶えてしまったので,病が再発されたものと心配される。

M先生の授業で何度かうかがった記憶に残る話であるが,第二次世界大戦のとき,出征兵士となった若者達が,戦場に持参した書籍のうちで最も多かったのが,万葉集だった,とのこと。「万葉集で謳われた人間の心模様,自然・景色等の豊穣さは,格別だからだろう。」というのがM先生の見解だった。

もちろん,万葉集に詠み込まれた古代日本人の素朴な心情の豊かさが万葉集の魅力となっているのは当然であろう。

だが,「令和」の年号を考案された中西進先生の見解によれば,万葉集では,なかんずく「愛(相聞歌)」「死(挽歌)」が謳われているからこそ,現代人をも惹きつけるのだそうだ。曰く「愛と死は,すべて生物を例外としない。また愛は死をいっそう悲しくし,死は愛をいっそう激越にするだろう。」と(中西進著「万葉の秀歌」ちくま学芸文庫)。古代文学研究者らしいご見解である。

もっとも,雑歌や,無名の防人の歌等を別として,皇族や宮廷歌人が詠んだ,相聞や挽歌の多くには,「裏の意味(寓意)」が隠されており,作者の人物像や,その歴史的背景を知ってこそ,はじめて「作者の真意」を理解できることが少なくない。当時の人々には「ピンときたはずのこと」でも,現代人が言葉の表面の意味を理解しただけでは,歌の真意を見誤ることになる。

 この意味では,作者の意図を探索・解読・推理するといった面白さが,万葉集の魅力の1つに加えられよう。と思うのは,私が,法律家の発想をもって,歌の真意を「論理的に」考えるからであるが。