北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

地元出身の海部俊樹・元総理が逝去された

もともと政治には関心がなかったので,私の記憶の中の海部(かいふ)さんは,イメージに限られる。だが,私の中の海部さんのイメージは,当初から「弁舌さわやかな論客」だった。小学時代か中学時代,毎週日曜日のNHKテレビ番組で「日曜討論」というのがあって,父が好んで見ていたのを横でみた記憶がある。当時若かった海部さんが,自民党の代表論客として出演され,社会党や共産党を代表して出演してきた国会議員の主張をはねつけていた。自民党が政権与党であるのはむべなるかな,と子供心に思った。

その後,私が,旭丘高校に進学した2年時,海部さんが,「クリーン三木」といわれた三木武夫総理の文部大臣(現文部科学大臣)に入閣した。そこで,当時クラスメートだった,M君が,「弁論部を立ち上げるから,君も入れ!!」と,当時,硬式テニス部であった私を強引に誘ってきた。私が弁論部に向いているからでもなく,勿論,「優秀そうに見えたから」でもなかった。要するに「数合わせ」=要員人数の確保が目的だった。M君がいうには,「海部俊樹・文部大臣は,地元東海高校の弁論部出身だ。だから,毎年おこなわれる東海高校主催の弁論大会で優勝すれば,今年は,文部大臣賞がでるんだ。だから,狙い目なんだ。」と。私は,M君の口車にのって,弁論部の立ち上げ要員に加わったが,その後,M君は,見事に東海高校主催の弁論大会で優勝し,文部大臣賞をかっさらってきて,我が校に優勝旗をもたらした。あの年は,折しも,愛知一中以来,母校創立100周年の年だった。記念行事では,電気機器メーカーソニー創業者の一人にして,母校先輩の盛田昭夫会長と,東海高校出身の哲学者・古代史研究者の梅原猛先生の記念講演を拝聴した覚えがある。あの当時,M君から,「梅原猛先生の『隠された十字架』は絶対に面白いから,君も読め。」と勧めれて読んだ記憶だが,その直後に,梅原先生の講演を聞く機会に恵まれた。梅原説によれば,たしか聖徳太子は暗殺されたのであって,その怨霊を鎮めるために法隆寺が創建された,という記憶だが,やはり殆ど忘れてしまっている。その後,弁論部の後進を育てなくてならない,ということで,一年後輩にいた「笹井芳樹」(あの小保方=スタップ細胞事件で有名になった理化学研究所教授)に声をかけたが,断られるなどして,わわわれが卒業した後まもなくに我が母校の弁論部はつぶれたと聞く。

海部さんの訃報に接して,いろいろ思い出した。
海部さんは,なんかの本で書かれていたが,小沢一郎とともに新進党を立ち上げたのが,やはりマズかったのではないか,と思う。ご冥福を祈ります。

 

私が弁論部にいた証拠。

卒業アルバムより。(顧問教諭は,国語教諭の武藤先生だったんだ。)

創立100周年記念のモニュメントに映し出された母校校舎は,今はない。

(河村市長=旭丘先輩=当時衆議院議員の座り込みの抗議も虚しく,取り壊された。)