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ロシア軍が「キエフ」を去り,ドイツ人が思うこと。

ロシア軍が,ウクライナの首都「キエフ(キーウ)」を去って,東部戦線に転進したが,キエフ近郊の都市(ブチャ,イルピン)では,民間人の虐殺被害が露わになりつつあるという。

 

の情報を得て,ドイツ人は何を想起するか。

日本軍の真珠湾攻撃をもって,第二次世界大戦に至ったとするならば,
その直前の出来事である,独ソ戦における「キエフ会戦(1941年9月)」のことを思い浮かべるドイツ人も少なくないのではないか。

 

大木毅著「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」(岩波新書)を読むと,第二次世界大戦で両軍合わせて,もっとも多くの犠牲者を出した独ソ戦のおぞましさを思い知らされる。

第二次世界大戦(太平洋戦争)での,日本人の犠牲者は,概ね,次のとおり。
戦闘員 210万人~230万人
非戦闘員 55万人~ 80万人と推計されている。

ソ連の第二次世界大戦における犠牲者の数は,
戦闘員 866万人~1140万人
民間人犠牲者:(軍事行動やジェノサイドにより)450万人~1000万人・・・・の他に,疫病・飢餓により800万人~900万人が死亡。

ドイツ人の犠牲者は(独ソ戦に限らないが)
戦闘員 444万人~531万人
民間人 150万人~300万人
だという。

この数だけでも,独ソ戦の凄惨さを思い知らされるが,
独ソ双方が敢行した殺戮行為は凄まじい。

ヒトラーは,ソ連軍の各部隊に配された指揮官の補佐役(「政治委員」)を「捕虜」とせず,共産主義者として殺害する方針を示し(コミッサール指令),組織的に殺害した上,ユダヤ系のソ連軍捕虜も殺害を命じた。そして,捕虜となった一般のソ連軍将兵も,食料の充分に配給されず,ろくに暖房もない捕虜収容所にすし詰めにされた上,重労働に駆り出されたことから,飢餓・凍傷・伝染病等のため,570万名ものソ連軍捕虜のうち,300万名が死亡したとのこと(死亡率53%)。

これに対し,ソ連軍によるドイツ人捕虜に対する扱いも凄惨を極める。
破壊された建物や地下壕,天幕などで寝泊まりする状態で,重労働を強いられ,食料も,1日あたり470ないし670グラムのパンが供された,との数字が残っているが,パンは往々にして,生地に大量の水を加えて,カサ(嵩)を増やしたものだった。副食物も,ジャガイモの皮や,魚の頭,犬猫の肉が出されたという。

いずれも国際法違反!

さて,「キエフ会戦」は,ヒトラーが,モスクワ進撃を優先すべきというドイツ国防軍最高司令部(OKW)の進言を無視して,第二戦車団のキエフへの南進を命令した(工業・炭田地帯の奪取等,戦争経済の優先)のに対し,スターリンがキエフの死守を命令したことで,ソ連軍は尋常でない損害を被った。
総計45万2720名の兵員と,43個師団が壊滅したのだ。
当時,キエフは,ソ連領だった。

 

だが,キエフ会戦の評価は分かれる。
ソ連軍に甚大な被害を与えたものの,ヒトラーがキエフ会戦を優先させたことで,時間を浪費し,モスクワへの進撃が遅れた結果,その進撃時には,「冬将軍」で,戦車のガソリンも凍結し,ドイツ軍が悲惨な敗北を喫する原因になった,という評価もあるからだ。