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円空が荒子観音寺に遺した「龍神」について

 現在はあまり議論されていないが、「円空学会」発足当時(昭和46年)の通説的見解によれば、上掲写真の尊像(以下「本像」という。)は、「観音」とされていた。上掲写真は、円空学会編「円空研究=1」の表紙と、その中の写真特集「荒子観音」からの引用であるが、本像は「観音」として紹介されており(ただし、解説文を書かれている棚橋一晃氏は、「楊柳観音」や「龍神像」の可能性をも指摘しておられる。)、初代円空学会理事長の谷口順三氏も、その著書「円空」(昭和48年発行)のなかで、本像を「観音」として紹介しておられる。
 だが,私は、本像は、ほぼ間違いなく「龍神像」だと思う。本ブログでは、その理由については、以下に述べる。

 本像について「龍神」の可能性を指摘された丸山尚一氏(「円空風土記」昭和49年)は、その理由として、現在、荒子観音寺に遺されている円空仏のうちで、『浄海雑記』に記されている「龍神像」に該当する尊像は本像以外にないことのほか、本像の顔貌と像高が、愛知県南知多(当時の荒子観音寺の住職であった円盛法師の出身地)に所在する成願寺に遺る龍神像(上掲・左写真)と酷似していることを挙げておられた。なお、成願寺の上掲尊像が龍神であること自体は、その前面に、上を向いた龍が尊像と一体的に刻されていることから疑う余地がない。
 丸山氏の上記指摘は、鋭く的確なものと思われるが、丸山氏は、なお断定を避け、「あるいは龍神として彫ったのかもしれない」というように推測にとどめておられる。
 これに対し、私は、本像が胸元に持つ「宝珠」に着眼すれば、ほぼ間違いなく龍神の像容であると断定して差し支えないと考える。

 周知のとおり、円空は、延宝二年、志摩半島先端の片田と立神にて大般若経の補修を行った際、その扉絵として、多くの仏画を遺している。これら仏画によれば、円空は、南北朝時代の大般若経扉絵を模写しつつも、独自に龍女と龍を二頭登場させているが、円空の描く龍女は、いずれも宝珠を持っているのが特徴である。

 しかも、円空が、龍女に持たせている宝珠は、弁財天や観音に持たせている宝珠とやや趣が異なり、横に二本の線が引かれている。

 上掲・人物像が、龍女であることに疑問をもたれる方もみえるかもしれない。長谷川公茂氏(前・円空学会理事長)の所説によれば、円空の仏画は、『法華経』「提婆達多品第一二」を踏まえたものなので、宝珠をもった少女が龍女であることは疑う余地がないのであるが、実は、円空の龍の描写を注意深く観察すると、以下に述べる理由から、宝珠をもった女性がすべて龍女であることが判る

 円空が描く龍の胴体には、上掲・龍のごとく「鱗」が縞状の線の巻に円弧 )))))〉が描かれたものもある。

 だが、多くは、縞状の線に、点 //// 〉が描かれている。

 したがって、円空が大般若経扉絵の中の「宝珠をもった女性」の着衣において、縞状の線に、点〈 //// 〉を描いているのは、その女性が龍女であることを示しいるものと考えられる。

 円空が大般若経扉絵に描かれた龍女が持つ宝珠の横二本の線が何を意味するか不明であるが(単に宝珠の模様、形状かもしれない)、荒子観音寺に遺された本像に刻された宝珠には、上掲写真のとおり「龍女が持つ宝珠に特徴的な横二本線」が刻されている

のみならず、円空は、上掲写真のとおり、その「宝珠の上に龍頭」を刻しているのであるから、像全体が龍女であることは疑う余地がない。

 

 さらに、本像が龍女であることの傍証として、右手は、水瓶(すいびょう)を持っている。水瓶は、いうまでもなく“ 水の女神 ”である十一面観音に特徴的なものであり、龍女に水瓶が必要である理由は、『浄海雑記』龍神像 … 円空上人の作 当村民及び熱田伝馬町人 請雨之節 本尊の傍に安置して之を祭る 必ず効験あり」と記載されているように「雨乞い」の呪術に使用されていたからである。

 以上のとおり、左手に龍女特有の宝珠を持ち、左手に水瓶をもつ像容は、正に龍神像そのものであると考えられる。