北口雅章法律事務所

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円空が「六本指の仏像」を彫ったのは何故か?

 

多指症でもないのに、…

 

 

私は、かつてブログで、円空が生きた江戸時代、医学的にみて、巡錫していた岐阜県下呂・金山町に、「多指症」のモデルがいたのではないか?と疑い、その旨のブログを書いていたが、的外れであったことに気づいた。

そうだったのかぁ……、と直観的に閃いた解は、
六本指=「六道」を顕していたのではないか?

 

その根拠は、二つ。

六本指に造顕されているのが、①「如意輪観音」だということと、②左手・左指が造顕されていない、という理由に基づく。

上掲・円空仏が「如意輪観音」であることは、右膝を立て膝にした独特のポーズ(輪王座)から異論のないところであるが、「如意輪観音」の機能は、本来、「六本の手による、六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)からの救済」にあり、それ故に、その基本的像容は「六本の手」をもつ。円空は、この「六本の手」の象徴的意義を「六本指」に置き換えたのではないか。

 

澤村忠保氏(臨済宗の僧侶)著「仏像の見方」(誠文堂新光社)によると、「如意輪観音」の「六本の手」の形と持ち物は、次のような意味を持つそうだ。
 右第1手:頬に当て(地獄界)、右第2手:宝珠を持ち(餓鬼界)、右第3手:数珠を持ち(畜生界)、左第1手:下を向かせ(阿修羅界)、左第2手:蓮華を持ち(人間界)、左第3手:法輪を持つ(天上界)。

 

観心寺(大阪;国宝)

 

ところが、

弘法大師・空海によると、「如意輪観音」の「六つの手 」には非常に深い意味があり、上掲解説とは微妙に違う。

曰く「要略すると、

第1に、「妙なる花」を持つのは「俗塵に染まるのを離れる意義」を示し、
第2に、「妙なる宝珠」を持つのは、「諸々の貧しい者を救うことを願う」
第3に、「数珠を握る」のは、「畜生を救済する」意義があり、
第4に、「宝輪(法輪)」を持つのは、広く真理の輪を転ずる意義、
第5に、「(手を頬に当てる=)須弥山を押さえている」のは、傾いて動かない意義を表しており、
第6に、「手の先を低(た)らしている」のは衆生のことを思いつづけられる意義を示し、
常に、「六道」のなかに遊行され、「菩薩の悲願の深さ」を「六つの手」が物語っている、のだそうだ。

五部陀羅尼問答偈讃宗秘論」『弘法大師・空海全集 第四巻』参照)