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円空の八面荒神

円空は、岐阜県美並村にて神仏像の造顕活動を開始した当時(寛文3年=1663年頃)、パトロン的存在であった西神頭(にしごと)家(洲原神社の神官の家系)にて、八面荒神像を遺している。

 

また、円空は、白山神託を受けた後、美並村に戻った延宝7年(1679年)頃にも、美並村・粥川(かいがわ)の星宮神社にて、八面荒神像を遺している。

 

もともと荒神は、民間信仰として存在した「火の神」、「竈の神」に、修験道の三宝荒神(三宝=仏法僧の守護神)が混淆して成立した「神」であるらしい。神仏習合とはいえ、十一面観音像が「仏像」であるのに対し、八面荒神像は「神像」である。
とはいうものの、三宝荒神の像容は、元来、三面六臂または八面六臂(三面像の頭上に5つの小面を持つ)とされていることから、古代インド人の宗教(ヒンディー教)の影響が認められ、「八面二臂の」八面荒神は、円空のオリジナルということになろうか。

円空は、八面荒神の構成要素とみられる、「荒神」も各地で遺している。
「円空本」に紹介されている主な荒神といえば、音楽寺(愛知県江南市)、八幡神社(岐阜県美濃市上条)、豊田市民芸館(愛知県)といったあたりか。

音楽寺(愛知県江南市)の荒神

 

八幡神社(岐阜県美濃市上条)の荒神

 

豊田市民芸館(愛知県)の荒神

このようにみてくると、直観的には、円空の「神」像造顕の原点に「八面荒神」があり、その構成要素である「三宝荒神」=「荒神」のモチーフが円空の内面で発酵していく過程で、その像容・機能の類似性から、次第に、円空のオリジナルである「護法神」に転化していったように思われる。