北口雅章法律事務所

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「本物の」文化財が醸し出すオーラ

先日、奈良国立博物館に出向いて、空海の「生誕1250年記念特別展」を観覧した。とはいうものの、実は、「お目当て」は唯一つ。実は、いわゆる「高雄曼荼羅」が見たいがため、わざわざ奈良まで足を運んだのであった。「高雄曼荼羅」は、神護寺が所蔵する両界曼荼羅で、空海自らが監修・製作に携わったと伝えられている、現存唯一の曼荼羅(国宝)で、平成28年から6年間かけて、修復が試みられ、金色・銀色の泥で描かれた諸仏が比較的見やすく、蘇ったとされる。
どの程度、修復が奏功したのか?

 

「高雄曼荼羅」の前に立って、眼を凝らして観覧したが、残念ながら、私には、往年のオーラは感じ取れなかった。損耗が激し過ぎた。修復では、汚れを落とすにとどめ、新たな着色は控えたからであろう。曼荼羅にすり込まれた金色・銀色の泥線は、名古屋市内では、消えかかった「ヒメボタル」(絶滅危惧種)の如く、非常にか細い輝きにとどまっていた。

ちなみに、西宮紘「釈伝・空海」にも、「高雄曼荼羅」の製作場面の描写がある。
曰く「…。特に観想の深化を促すために、あえて彩色を用いず、深い紫色の綾地に金泥と銀泥の模様のみで、空海自ら筆をとって描いた。張りのあるのびのびとした太めの筆線を駆使し、衣の線は柔らかな味を加えて質感を出し、諸尊は若い女性のしまった身体のように腰が細い。如意尼(注:出家した淳和天皇の元妃)との邂逅がもたらした女体への感性が、その比類のない品位と的確な造形をもたらしたのであった。」

ちょっと、残念な思いを抱きつつ、奈良国立博物館の後、立ち寄った唐招提寺・新宝蔵の国宝群(8駆)は素晴らしかった。日頃の心がけがいいと、偶々「特別公開」されていた「春季特別展」での展示に、閉館10分前にたどり着き、気さくな管理人のご配慮で、閉館時刻を過ぎても、ゆるりと堪能できた。

 

表面の乾漆が剥げ落ちてはいたものの、それゆえに露わとなった木造の彫刻には、鑑真が唐国から一緒に連れてきたであろう仏師らの精魂がオーラとなって伝わってくるような感じがした。素晴らしい!の一言に尽きる。寺内の売店で購入した写真集の写真(下掲)では、やはり、あの感動を味わうことができない。文化財を観るときの感動は、「実物」の前に立ち、直に「本物」が発するオーラを浴びることによってこそ、味わえるものなのだ。

 

これら彫刻を観ていたとき、ふと、写真集「土門拳の古寺巡礼」の中のある写真を思い起こした。首のないトルソーのような仏像の写真である。帰宅してから見直すと、唐招提寺所蔵の「如来立像」(重要文化財;下掲)であった。唐招提寺の売店で購入した写真集にも載せられていたが、「春季特別展」では、展示されていなかった。

かつては、このトルソーの写真の何処がいいのか?と疑問に思っていたが、今では、土門拳の気持ちが良く理解できる。