北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

この頃,「時代は変わった」,「ボクも年をくった」と思う時。

その1.つい先日,河野浩先生(大分県弁護士会)から挨拶状が届いた!

 平成元年に司法試験に合格し,平成2年12月から始まった大分県弁護士会での,
実務修習。あの当時,河野浩先生(弁護士)は,大分県弁護士会の文字通り「重鎮」であられた。
多数の優良企業の顧問を手掛けられ,あるいは,
徳田先生が手掛けてみえた医療過誤事件においては,いつも被告・病院側の代理人として登場され,多くの難事件に携わってみえた。
夜遅く(午後11時過ぎて),裁判所近所にあった,河野浩先生の自宅兼事務所の前を通りかかるときは,「いつも」二階にあった河野先生の執務室には,煌々と明かりがついていた。

修習仲間と,あるベテラン弁護士の事務所訪問の後,同先生にご馳走になったとき,
「ある裁判で負けたことがあってね。自分は一生懸命やったつもりだったが,
 依頼者から,『河野浩先生に依頼していれば勝てた!』とこぼされたことがあってね。
 アレは,ショックだった。」
と,こぼされたことがあり,今も印象に残っている。

そして,アノ当時,河野浩先生の事務所には,弁護士1年目で,成り立てホヤホヤの
「イソ弁」千野博之先生(後の大分弁護士会会長)の机がコジンマリとあって,
河野先生ともども,いろいろ教えていただき,大変お世話になった。

あれから,約30年。

弁護士河野浩先生御大から,
「事務所法人化のご挨拶」が届いた。

アレェ? 名前の上下が「逆」じゃないのぉ??

そうかぁ。ついに,下剋上(げこくじょう)が起きたか。

あれから,もう約30年も時が流れたもんなぁ。

 

その2.一昨日,母校・旭丘高校の同窓会誌「鯱光」が届いた。

同期31期の同窓会仲間のメーリングリストで,予め知ってはいたが,

同期の杉山賢純くんが,母校の「校長」に着任(!)

「鯱光」巻頭に掲載された,杉山校長の「着任のご挨拶」には,

「…,さて,高校を卒業後,40年ぶりに母校に戻ってまいりましたが,」という。

そうか。オレたち,もう,そんなに年をくっちゃったのかぁ,と愕然となる。

(実は,高校時代,杉山くんとはクラスが違っていたので,話をしたことはなかったが,
先般,母校140周年の記念誌の出版に際しては,彼から事務所に電話がかかってきて,
『事務所の広告を出して頂戴。できれば,広告料○万円のサイズにして頂戴。』
という趣旨の事務連絡をいただいたことはある。)

そして,杉山くんの上記挨拶文の続きは,
「現在の生徒達は,愛知一中の精神『正義を重んぜよ』『運動を愛せよ』
 『徹底を期せよ』を継承し,旭丘の自由闊達な校風をしっかりと受け継ぎ,…」云々
と書かれている。

あまり意識したことはなかったが,私の反骨精神も,
若干,母校の伝統のもとで培われた面があるのかもしれない。

ちなみに,今回の同窓会誌「鯱光」には,母校の大先輩にして,
平成25年8月,最高裁判事就任時の記者会見で,
「集団的自衛権の行使は、従来の憲法解釈では容認は難しい。」との正論を述べて,
物議を醸(かも)した山本庸幸・元内閣法制局長官(現・最高裁判事)の講演要旨が
載せられていた。